破提宇子 (吉利支丹史料) - Wikisource

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破提宇子

夫、提宇子門派、初入の人に對しては七段の法門あり。其初段の所詮と云は、天地万像を以て能造の主を知り、四季轉變の時を違へざるを以て其治手をしる。譬へば一宇の殿閣を見ば、其巧匠あることをしり、家內に壁書あつて、其旨に隨て家中治まるを見る時は、必主人あることを知は常の習なり。去れば天もなく地もなく、一物なかりし空寂の時ありしに、此天地出現し、天には日月星宿光を放つて、明歷々として東涌西沒の時をたがへず。地には千草万木あつて飛花落葉の節をあやまたざるは、能造の主なくんばあるべからず。此の能造の主をデウスと號すと云へり。

破して曰〈一本曰ヲ云ニ作ル〉、是何の珍しきことぞ。諸家何れの所にか此義を論ぜざる。有物先天地。無シテ形本寂寥。能爲万像。逐四時凋とも云、天何をか言哉、四時行焉、百物生焉ともあり。其外佛法には、成住壞空の次第を以て此義を論じ、神道には、天神七代、地神五代と神代を分つ。就中天神七代の始め、國常立尊、國狹槌尊、豐斟渟尊、三はしら〈一本ハシラノ三字ナシ〉の神在まして天地開闢し玉ふ。常に立て國を治め玉ふ故に、國常立尊と申奉る。何ぞ提宇子の宗ばかりに、天地開闢の主を知たる〈一本ルヲリニ作ル〉がほに、くどくどしく此義を說や。言多きものは品少し。閉口しさる。

提宇子云、此デウスはインビニイトとて、始もなく終もなく、スビリツアルスヽタンシヤとて、色形なき實體、ヲムニボテンとて万事に叶ひ、サゼ〈一本ゼヲビニ作ル〉ヱンチイシモとて、上なき智慧の源、ジエスイシモとて、大憲法の源、ミゼリカウルヂイシモとて、大慈大悲の源、其外諸善万德の源なり。佛神は皆人間なれば、件の德義備り玉はず、生死を受玉へば、なんぞ天地作者と云んやとなり。

破して云く、佛神を人間とばかり見は、無學の人の邪見、尤も提宇子に似合たる見計なり。夫諸佛は法報應の三身在す。應化の如來は、衆生濟度利益方便の爲には、八相を成じ玉ふといへども、法身如來、無始廣〈曠カ〉劫より本有常住の佛にて在ませば、言語道斷にして是とも非とも手のつかざる法性法身の本佛なり。故に經にも如來常住無有變易とも說れたり〈一本リヲルニ作ル〉。人間とのみ思ふは愚痴の凡夫なり。又神も人間なりと云は右に同じき無學なり。かけまくも忝や、神には本地垂迹の謂れ〈一本レヲヒニ作ル〉在ます。譬へば天滿大自在天神は、御本地〈一本本地ノ下大恐ノ二字アリ〉大悲の觀世音に〈一本ニノ下テノ字アリ〉在ませども、光を和げ塵に交り玉ふ時は、菅相亟〈一本相亟ヲ丞相ニ作ル〉と顯れ、迹を北野に垂玉ひ、百王鎭護の神と祝はれ玉ふ。何し〈一本シヲレニ作ル〉の大社宗廟の神にか此理在まさゞる。加之、國常立尊と申し奉るは、天地未開闢、人間一人もなかりし以前よりの神にて在ますをも、人間なりと申さんや。言ふことなかれ、言ふこと勿れ。知るをば知るとし、知らざるをば知らずとせよ。神と申すをば、至聖の孔子だにも、使天下之人。齊明盛服シテ。以承祭祀。洋々乎トシテ其上其左右矣と宣玉ふに、盲人蛇にをじずとやらんに、提宇子〈一本子ノ下ヅレノ二字アリ〉の口にかけて何かと申すは、怖し々々、誠に舌を拔るゝの業を招く者なり。日本は神國、東漸の理に依ては佛國とも云べし。さればにや、佛〈一本佛ノ下神ノ字アリ〉を駟詈する提宇子は、當來を待に不及、現世にても佛罸神罸を蒙るべきこと、踵を囘らすべからず。人の名をも知ざる者共は、不アラルニ、看々、豐後の大友宗麟は佛神に歸依せられし程は、威を九州に振ひ、名を西〈一本西ヲ四ニ作ル〉海に飛ばせられしかども、提宇子の門徒と成られし後は、武運も忽につき、嫡男義統諸共に日向へ打越へ、志摩津と戰ひしに、耳川の一戰に討〈一本討ヲ懸ニ作ル〉負け、單孤無賴に打なされ、ほうゝゝ〈一本ホウヽヽヲハフハフニ作ル〉國に歸り、其後は宗門次第に衷〈一本衷ヲ衰ニ作ル〉弊し、今日に至までは累代繁榮の豪家ながら、子孫つきて在かなきかのていたらくなり。又小西攝津守も提宇子の張本たりし故に、佛神の加護なく、三〈一本三ヲ光ニ作ル〉成が非道の謀反に與し、大路を渡され、首を刎られ、從類悉く絕え子孫殘らず。又高山右近も提宇子の棟梁たりしが、其子孫いづくにかある。明石掃部も提宇子宗と成て、家を失ひ身を亡しぬ。又京洛の中に於て桔梗屋〈一本屋ノ下ノノ字アリ〉ジユアンと云し者の一類、泉南の津にては日比屋の一黨は、商家ながらも提宇子の大檀那にてありしが、此等の一族多は死然〈一本然ヲ善ニ作ル〉を得ずして亡びにき。此等の子孫、今何れにかある。是皆眼前に諸人の知所なり。斯の如く義を聞ながら、猶も佛〈一本佛ノ下神ノ字アリ〉を人間なりと云ば、たとへば釋尊の淨飯大王を御父とし、摩耶夫人を御母として誕生の相を現じ玉ひ、鶴林の御入滅を唱へ玉ひ、八幡大菩薩の仲哀天王〈一本王ヲ皇ニ作ル〉を御父とし、神功皇后を御母として生れ在ます體の義を以、人間なりと思ふと見えたり。然らばジヨセイフを父とし、サンタマリヤを母として、提宇子の本尊ゼズキリシトも誕生すと云ふ時は、是こそ人間のたゞ中よ、此方には人を天地の主しとはせずと云ふことなり。

提宇子の云く、ゼズキリシト〈一本因ノ上モノ字アリ〉因位〈一本位ヲ住ニ作ル〉の處は、本より人間にて、神の垂迹〈一本垂迹ノ下佛ノ字アリ〉の因位に異ならざれば、此段は互に暫くさしおく。神の本地も佛なれば論ずるに不及。法性法身の處とDsとたくらべ看よ。デウスは右に云し如く諸善万德の源なり。法性は無智亦無德と說く。然らば無智亦無德の處より、如何として此天地万像を造作せん。其上今日の我等にある慮智分別は、本源に智德あらずんば何としてかあるべき。

破して云、提宇子は眞理を辨へず。法性は無智無德と聞ては不可也と思て捨之。デウスに智德ありと聞ては可也と思て取之。まて、我汝に眞理を說て聞せん。先無の一字にも不可思議の謂れあり。無字鐵關千萬里〈一本里ヲ重ニ作ル〉。誰這字スト那邊とあれば、無の一字も提宇子底の人の知べき義にあらず。よし又無智亦無德の語、字面の如くにもせよ、無智無德こそ眞實なれ。デウスを有智有德と云は落居すべからず。總じて智慧ある處には〈一本處ニハノ下憎愛簡擇ナクテ味ハズノ十字アリ〉、憎愛簡擇は人間の氣也。憎愛あるデウスならば、共に量るに不足。猶此理をば後にも敎ゆべし。去れば法性は大海の如く、是非有ことを說ずと云こそ眞實なれ。又デウス有德と云て是に誇る。猶又一毫未斷の凡夫の說也。上德は不德、是德と、人の上にさへ云ふなるに、Dsには是々の德ありと云は、却て不足千万、老子の夷 之三字を擧て、此の三の者は語することを致すべからず。右の三の者は見る事も得ず、聞ことも得ず、取ることも得ず、言語道斷にして、書にも傳へられずといへるこそ然べけれ。Dsには智慧分別あれば、法性に越たりと云へるは笑に不堪。虛靈不昧の理をば、汝知るべからず。

提宇子又云、本源に智德なくんば、如何として人間にある慮智万像に備る。德義はいづくより出たるぞ。此理を以て見る時は、本源に智德備はらずんばあるべからず。

破して云、柳は綠花は紅、是は只自然の道理なり。柳の根を碎て看よ、綠もなく、花の木を破て看よ、紅もなけれども、自然天然の現成底也。年々に咲や吉野の山櫻木を破てみよ花のあるかは。根元になき物の枝末にあるは常の義也。道生。一生。二生。三生万物。虛靈不昧の本源より陰陽生じて、淸濁動靜の氣備り、天地人共に万物を生じ、我等が慮智分別、鳥獸の飛鳴走哮、草木の開花凋零、皆是二氣の轉變、淸濁動靜に隨ふ。古往今來の千聖万賢、此理を述ずと云ふことなし。孔子をこえ、老子に勝る、提宇子にてあるべからず。蔓頭の葛藤截斷し去る。

   二 段

提宇子云、此のデウスは現當二世の主、賞罸の源也。されば主はありても、現在の善惡の業により、當來にて賞罸に預るべき者は、何ぞと云ふことを知ずんばあるべからず。總じて色形ある物は、人畜艸木皆終ありて、燒ば灰、埋めば土と成、後生にいき殘て苦樂を受ん者は何ぞと敎ゆべし。然れば精魂に品々あり。先草木の精をば、アニマベゼタチイワと云。アニマベゼタチイワと云は、生成榮枯、飛花落葉の用のみ備へたる精命と云ふ義也。又禽獸の精命をば、アニマセンシチイワと云。アニマセンシチイワとは、生成の用のみならず、知覺運動等の用を具したる精命也。喩へば鳥雀の鷹を見ては己が敵也としり、飢渴痛痒等を覺ゆる精命なり。右二のアニマは、色相より出て色相のみに當る用をなす精命なれば、色相の四大に歸る時は、つれて滅する命根なり。さて人間の心をば、アニマラシヨナルと云。此ラシヨナルと云アニマは、右二のアニマの用のみならず、是非を分別するをラシヨナルアニマと云也。此ラシヨナルアニマは、色相より出ず、却て色相を制し、スヒリツアルスヽタンシヤとて、無色無形の實體なり。色相より出ずと云ふ道理は、人間も色相ある者なれば、飢渴寒暑を覺るは禽獸に違はず。然れば飢に臨では食せんことを欲すれども、玆にてくらはゞ耻辱也と思ふ時は死すれ〈一本レヲルニ作ル〉どもくらはず。又戰場に於て身は退かんことを思へども、逃て後に指をさゝれんよりはと義理を思ひて、いやがる身に我と討死をさするを以ても、アニマラシヨナルは色相より出ず、デウスより一身の主と作り玉ふと云處明かなり。然れば色身各別のアニマラシヨナルなるが故に、色身とつれて滅せず、後世に生殘て、現世の業に隨て、永劫不退の苦樂にあづかる者也。其善所をばハライソと云て天にあり。惡所をばインヘルノと云て地中に在者也。

破して云く、右三品のアニマを擧て銘々に名付、各々に之をとく。就中人間のアニマはラシヨナルとて色身より出ず。Dsより各別に作られ、現世の業に隨て、後生にて苦樂を與へらるゝと云ふ。あゝ哀なるかな、提宇子の眞理を知ざること。あゝ悲ひ哉、吾朝の凡夫此異端に惑せらるゝこと。我眞理を說て汝に聞せん。總じて万物に事理の二あり。這事あれば此理なくて叶はず、此理を賦命と云。千差万別の物ありといへども、理に〈一本ニヲハニ作ル〉二もなく三もなく、唯一の理也。用の差別は事の品々に隨ふ。一味の雨は理、千差の器は事也。譬へば天油然として雨を降すに、諸器を出して是をうく。雨水には長短方圓の相もなく、香臭の氣もなく、淸濁の義あらず、甘苦等の味もなしといへども、方圓、五味、香臭、淸濁等も、皆器の方圓、善惡、淨穢のまゝに任す。去れば賦命も亦如斯。氣質の淸濁厚薄の不同に依て、用も同じからず。何ぞ、ベゼタチイワ、センシチイワ、ラシヨナルなどゝ、其理を各々に分たんや。別して人間の心は、アニマラシヨナルと云て、各別の物なる故に、身欲を制すると云を究竟の理として、諸家には不之と思へり。誠に管見の第一也。儒家には氣質の欲を人心と云ひ、義理を思ふを道心と云。此段に於て、儒門にも善盡し美盡せること、提宇子、夷狄の曲說の及ぶ所にあらず。人心惟危、道心惟微也と云、此義也。さて佛法には心意識の三を擧て論ずること精しからざるに非ず。不起一念の處は、心王不動の妙體なり。一念の私欲起るは意也。猶も綠紅と細碎工夫するを識と云。譬へば同じ火なれども、火焰熾の三の如し。去れば是程諸家に云盡したる義をば知ずして、珍し㒵にアニマセンシチイワの、アニマラシヨナルのなどゝ、唐人の寢言のやうなる事を云て、愚人を誑かすは曲事なり。猶又アニマラシヨナルには、今生の業によりて、後生にてDs苦樂を與へらるゝと云ふ。かゝる無道を行ずるをDsと云ふや。人主に於ても謗るべし。夏の禹は卽位し玉ひて後、罪人を見て車より下て泣て曰く、堯舜之人は、堯舜之心を以て心とす。寡人、君と爲て、百姓各自ら其心を以て心とす。寡人之を痛むと自ら責玉ふ。商の湯王七年の大旱に、民苦めば、大史占て人を以て禱るべしと奏すれば、是皆吾が罪による天災なり。民の科にあらずと思召し、自ら犧とならんと、素車白馬にして、身嬰白茅犧牲と爲て、桑林之野に禱る。六事を以て自ら責て曰く、政節ならざる歟、民職を失する歟、宮室崇き歟、女謁盛んなる歟、苞苴行なはるゝ歟、讒夫昌んなる歟。言未だ已ざるに大ルコト方數千里。又莊山之金を以て幣を鑄て、民の命を救ふ矣と、傳記に〈一本ニヲノニ作ル〉載る處なり。人主だにも聖主賢君は猶如斯。然るにDsは、誰が賴み誰がやとうともなきに、無量恒沙の人を造り、地獄に墮し、一日一月の間のみか、不退永劫の苦に苦を受かさねさするを、大慈大悲のDsと云はんや。大慈大悲とは苦を拔き樂を與ふ、是を云ふぞ。

   三 段

提宇子の云く、デウスはスヒリツアルスヽタンシヤとて、無色無形の實體にて、間に髮をいれず、天地いづくにも充滿して在ませども、別して威光を顯し、善人に樂を與へ玉はん爲に、ハライソとて、極樂世界を諸天の上に作り玉ふ。其始め人間よりも前にアンゼルスとて、無量無數の天人を作り、いまだ尊體を顯し玉はず。上一人の位を望むべからずとの天戒を定め玉ひ、此の天戒を守らば、其功德に依てデウスの尊體を拜し、不退の樂を極むべし。若又破戒せばインヘルノとて、衆苦充滿の地獄に墮し、毒寒毒熱の苦患を與ふべしとの義なりしに、造られ奉て、未だ一刻をも經ざるに、卽無量の安女の內にルシヘルと云へる安女、己が善に誇て、我は是デウスなり、我を拜せよと勸しに、かの無量の安女の內、三分が一はルシヘルに同意し、多分は與せず。玆に於てデウス、ルシヘルを初とし、彼に與せし三分一の安女をば下界へ追下し、インヘルノに墮せしめ玉ふ。是卽安女高慢の科によりて、ヂヤボとて天狗と成たる者なり。

破して云、汝提宇子、此段を說こと偏に自業自縛なり。先Dsはいづくにも滿々て在ますと云は、眞如法性本分の天地に充塞し、六合に遍滿したる理を聞はつり云ふかと覺へたり。似たる事は似たれども、是なることは未だ是ならずとは、如此のことをや云べき。さて汝云はずや、Dsはサヒヱ〈一本ヱヲアニ作ル〉ンチイシモとて、三世了達の智也とは。然らば彼女安〈一本女安ヲ安女ニ作ル〉を造らば、卽時に科に落べきと云ふことをば知らずんばあるべからず。知らずんば三世了達の智と云へるは虛談なり。又知りながら作りたらば、慳貪の第一也。万事に叶ふDsならば、安女の科に墮ざるやうには何とて作らざるぞ。科に落るを儘に任せ置たるは、頗る天魔を作りたる者也。無用の天狗を造り、邪魔をなさするは何と云ことぞ。蓋しデウスの造りそこなひか、但し又安女は天地万像を造りたると云ふ、其こけらくづにてインヘルノの猛火にくべたる歟。呼々大笑。

   四 段

提宇子云、デウス、天地森羅万像を造り終り玉ひ、万物の靈長として人間を作り玉ふ者なり。但し人間初めより如此無量無數に造り玉ふと云にはあらず、阿檀慧和とて、夫婦二人を作り玉ひ、万の智慧分別を勝れて與へ玉ひ、ハライソテレアルとて、地上の極樂世界に置玉ふ。このハライゾ〈一本ゾノ濁點ナシ以下同〉テレアルと云へる所は、不寒不熱にして衆苦を離れたる所なり。阿檀、慧和、この所に居られし程は、貧苦病苦と云ふこともなく、如意滿足にして千苦万苦〈一本万苦ヲ万勞ニ作ル〉、あたりへも近付ざる者也。玆に於てDs又一戒をアダン、ヱワに授け玉ふ。諸木諸艸の實をば食すると云とも、マサンと云ふ菓實をば食すべからず。此戒を持つに於ては、アダン、エワの事は云ふに不及、子々孫々に至るまで、不老不死、如意滿足にして、時節を定め、又上天ハライゾへ召上げ玉ふべし。但し又破戒の人とならば、ハライゾテレアルをも追放し、死苦病苦を初として衆苦を身に受け、上天ハライゾへも召上らるべからず。終にはインヘルノとて、地獄に墮在すべしとの義なりしに、件のルシベ〈一本ベノ濁點ナシ以下同〉ルと云へる天狗、人間このまゝにてあらば我失ひたるハライゾ、上天の位階を奪はるべきことを妬み、ハライゾテレアルへ窺ひ入れ、女のヱワに勸めて云、何とて此マサンの菓子をば食せざるぞ。是は三世をしる智慧の菓子にて、是を食へばデウスの如く成故に、Dsの如く人をなさせらるまじき爲に戒め玉ふぞと云へば、ヱワ卽これを食ふ。夫の阿檀も同く食して天戒を破りし故、ハライゾテレアルをも追出し、今この子孫の我等に至るまでも、死苦病苦を先として艱難こゝに極り、剩へインヘルノに墮さるべき身となりたる者也。

破して云、正理には背きしと云へども、初め一段二段までは、ちとをとなしげもありつるが、三段より此段をきけば、淺より深に入にてはなく、漸々淺まになる。是より奧猶思ひやられたり。先思ひても見よ、天戒と云其名は貴に似たれども、戒法の品こそあるべきに、マサンの菓子とて、あまぼしのやうなる物を食すること勿れとは、誠に笑具の第一なり。老婆を誑し、小兒の泣をすかすには似合たり。上天得菓〈一本菓ヲ果ニ作ル〉、地獄墮在の一大事の因緣とするに、あまぼしは不足なり。五戒十戒、律家の諸戒の內にもあまぼしを戒められたりとは聞ず。古蜂屋入道このマサンの談議を聞て、提宇子のあまぼし談議と名付たりしは尤なり。さて又諸神諸佛、惡魔降伏の義を顯さんとては、解脫同相の衣を、弓矢劔對の形に替て見せ玉ひ、擁護の御手をのべ玉ふとこそきけ、何ぞやDs、惡魔ルシベルを造り置さへあるに、アダン、ヱワを誑す時、加護をばなさずして科に落よかし、見て笑はんやうにして、あまぼしを食へば、忽ちハライゾテレアルよりも追出し、アダン、ヱワは云に不及、一切の人間を地獄に入んとは、Dsに似合たる存分か、將た理の聞へたること歟。畢竟Dsはアダン破戒すべきことを知らざる歟。知らずんば三世了達の智にあらず、知りたらば慈悲の上より科に落ぬ〈一本ヌヲスニ作ル〉了簡を、アダン、ヱワに敎へらるべき義なり。兎にも角にも提宇子の說、作りごとなる故に、不都合なること計なり。

   五 段

提宇子の云、件のアダン、ヱワ犯科の後、死苦病苦を先とし、不如意不足なるを見、特には死して後インヘルノに堕在せらるべき難義を顧み、コンチリサンとて後悔を起し、今生の儀はさもあらばあれ、其身を初め、科を悔ひ悲まん者共の後生をば扶け玉へと、行住座臥、天に仰ぎ地に伏して是を禱られけるに、デウス大慈大悲の上より扶け玉はんと思召すに、又憲法の上より、所當の科送らせよと請ひ玉ふといへども、人間の量りある身としては、相當の科送を成すこと叶はず〈一本ズヲヌニ作ル〉。故如何となれば、アダン、ヱワの科量りなき科となれり。喩へば同じ手にて、人の面をうつに、相手の輕重によりて其科にも淺深あり。我より下輩の者を打ば、うちても苦しからず。同輩をうてば打て返す。上輩にして、自然〈一本自然ノ下ハノ字アリ〉國主なんどの樣なる人を打てば、其科重罪となりて、子孫末孫までも嚴科に處せらるゝが如し。量りなきDsに對し犯せる科なれば、量りなき科送をなさずして叶はぬに、旣に量りある身となれば、人間の方より科送をなすこと叶はぬとて、其まゝさし捨玉へば、Dsの万事叶ひ玉ふと云義又隱るによりて、慈悲憲法の二を〈他ノ一本万事ノ上以テノ二字アリ〉万事叶玉ふ上よりかき玉はず。Ds人骸を受玉ひ、御出世ありて、人間の科送を成就し玉はんとして〈一本シテヲノニ作ル〉、天約をアダン、ヱワになされ、アダン、ヱワは是を承て子孫に云傳へ、九百三十歲の齡を經、つひに死去せられし者也。

破して云く、此は是平生人の諺に云ふ、切て繼番匠なり。好事もなきには如かじ。つげる事は是也と云へども、此の是は本の無ことに劣れり。喩へば良材を間に合せんと思ひ〈一本思ヒノ下テノ字アリ〉、切て五間の虹梁に渡さんとするに、短くなれば又繼て其材を捐ざるも、工匠の良能なれども、長を短く切りそこなひしくせ事は言語道斷なり。デウスのアダン、ヱワをば善道に作りそこなひて、後又修補せんとの義、是に異ならず。誰がやとふともなきに、なまじひに人間を作らんとて作りそこなひ、今此の衆苦充滿の身と我等をなせること、さりとては、かたじけなからざる計ひなり。此等の理を有難と聞得て移らず、提宇子の門徒は、下愚とも々々々云に足らず。さてまた汝右に云、科は相手の輕重による故に、量りなきDsに對して犯せる科なれば、科も量りなき重犯と成て、量ある人間の科送をなすこと叶はずとは不審なり。あまぼし一を食ひし科も、Dsに對して犯せば、量りなき科とならば、何ぞ又Dsに對し、慚愧懺悔の心ありて、悔の八千度身を焦し紅淚に沉まん。善も量りなき善根とならざらんや。蓋しデウスは人の善〈一本善ノ字ナシ〉惡をばそだて、人の善をばないがしろにするの主歟。又惡はDsに緣じては增長し、善はデウスに對しては滅亡するものか。此二對の內の理、汝必ず其一に居し〈一本シヲレニ作ル〉、如此底の義、逐一に是を論ぜば、天地を紙とし、草木を筆として書とも盡すべからず。愚且く一隅を擧ぐ。智者必ず三隅を反さふせよ。

   六 段

提宇子の云、右に說しDsの御出世のこと、天地開闢より大數五千年を經、セイザルと號する帝王の御宇に、ジユデヤの國の中、ベレンと云在所に於て誕生なり玉ふ。御母をばサンタマリヤ、御父をばジヨゼイフと申す。但し此サンタマリヤもジヨゼイフも、ビルゼンとて一生嫁婚の義無して、懷胎誕生し玉ふ。然を何としてDsの御出世とは是を知ぞと云に、先の此のサンタマリヤは一生不嫁の德あるのみならず、諸善万行備り玉へば、讀誦觀念怠り玉はず。或時觀念の窓に向ひ心をすまし玉ふ。黄昏に及で忽然としてアンジヨ來現し、長跪合掌して、アベガラシヤベレナダウミヌステクンと申されしなり。此語の意は、Dsの愛相滿々玉ふマリヤに御礼をなし奉る。御主は御身と共に在ますと云義也。此時より懷妊し玉ひ、十月滿じて件のベレンに於て、夜半深更に及で厩の內にして御誕生あれば、天人天降り、音樂を奏し、異香四方に散滿す。此時奇瑞を以てDsの御出世を顯し玉ふ者也。此御出世の主をゼズキリシトと申し奉る。御在世三十三年にして、衆生に善道を敎へ玉ひ、御身Dsま〈一本マヲニニ作ル〉て在ますと宣ふが故に、ジユデヨと云者の一類、是を聞て魔法也と云ひ、權門に訴へ、呵責打擲を加へ、終にクルスとて、はたものに掛奉る。是以て人間の滅罪生善の功德、アダン、ヱワの科送として、三十三の御年入滅を唱へ玉ひ、三日目に蘇生し玉ひ、其後四十日を經、上天を遂げ玉ひたる者なり。夫より以來、大都千六百年に及べり。

破して云く、デウスの出世、天地開闢より大數五千年に及ぶと云。是程其科送の遲かりしは、天地懸隔なる故に、遠路にして路次に年數を經たる歟。又旅の裝ひ用意に歲月を經たる歟。五千年の間に科送なければ、一切世界の人間、地獄に墮べきこと無量無數なるべし。若干の者地獄に墮るは、偏に雨の降が如くなるべきに、其を見ながら哀とも思はず、五千年已來、衆生濟度の方便に心を傾けざるを慈悲の主と云んや。此を以て見るにも、提宇子の敎は皆作り事なりと云義明か也。又年數に付ても甚だ不審あり、天地開闢より五千年にゼズキリシト出世と云ふ。出世より又千六百年、都合六千六百年なり。和漢傳記の年數に挍量すれば、甚だ年數少し。蓋し提宇子の天地は、此天地の外、後に又別の天地出來たる歟。不審々々。又ジヨゼイフ、サンタマリヤは、一生不嫁の善人なるを父母とし、ゼズキリシト誕生と云。是何の至善ぞ。夫婦別ありとて、面々各々の嫁婚は人倫の常なり。常に反するをば却て惡とす。惡と云は道にはづるゝを云ふ。もし天下の人倫悉く嫁婚の義なくんば、國郡鄕里人種を絕ち亡びん外何をか待ん。然る時には〈一本ニハヲンバニ作ル〉、常の道は善にして、此外は不善なること明白なり。又ゼズキリシト、天地の主と名乘らるゝが故に、ジユデヨの一黨、魔法なりと云て權家に訴へ、是をはたものにかけ、命をたちしと云。尤も是はさあるべし。詩に云、伐柯々々。其則不遠矣。いま眼前日本にて、汝提宇子の敎は、聖人の道に背く魔法なるが故に、賢君是を退治し玉はんと思召し、百姓も又これを惡んで吿げ訴へ、首を刎られ、はたものに掛られ、或は燒殺さる。先賢後賢、その政、符節を合するが如し。汝提宇子の敎、邪法なること、一々猶後にことはるべし。さて又蘇生上天を說くこと貴に似たりといへども、根元邪法なれば皆魔法幻術なるべし。悟の前の是非は、是非共に是也。迷の前の是非は、是非共に非なり。正法の前の是非は、是非共に正なり。魔法の前の是非は、是非共に魔なるべきこと、何ぞ猶豫に及ん乎。

   七 段

提宇子の云、右の六段、この宗の敎の專用なり。段々能く納得あらば、受法有べし。受法の後は十箇條のマダメン〈一本ンノ下トノ字アリ〉とて、十の法度、是を守らずんば有べからず。其第一には、Ds御一體を万事に越え、大切に敬ひ奉るべし。第二、デウスの御名に掛て、空しき誓すべからず。第三、ドミンゴとて、七日め七日めを用ひ勤むべし。第四、父母に孝行すべし。第五、人を殺すべからず。第六、邪婬を犯すべからず。第七、偸盜すべからず。第八、人に讒言をなすべからず。第九、他の夫妻を戀慕すべからず。第十、他の財寶を濫望すべからずと云ふ、是なり。この內第一のマダメント、万事に越て、デウスを大切に敬ひ奉るべしとは、主人よりも父母よりも、此デウス〈一本御內證ノ上猶重ジ奉テDsノノ七字アリ〉御內證に背く義ならば、主をやの命にも隨ふべからず。身命をも惜むべからず。如何に况や其餘に於てをや。さて又受法の時、名をつくることあり。是は古デウスの御內證に叶ひたる善男子善女人の名なるを、今面々につきて、其善人を尊前の御取成手と賴奉るべき爲なり。又塩をなめさする義あり。塩は味のなきものに味を付る物なり。其如く後生の味を今付るぞとの表式なり。又燈に手をかけさするは、眞の光を見付たりとの表式なり。さてエゴテバウチイゾインナウミネバチリスエツヒイリイエツスヒリツスサンチトの要文を唱へ、額に水をかくるなり。此語の意は、Dsの父、Dsの子、又其兩間の大切の名に依て、我汝を洗と云義なり。其時ゼズキリシトのクルスより流し玉ふ御血の功德、此水に籠りて、卽一切の罪穢を洗除して、其後自己の犯なくて、死せば上天の得果疑ひなし。又善人と云ふとも、此バウチズモの授を受ずしては扶かることなし。

破して云く、マダメントとて、十箇條の法度を說く。此十條の初條を除ては、殺生、偸盜、邪婬、妄語、飮酒等すべからずと云ふ五戒を出ず。マダメントの第九第十は、心の濫望を制したる者也。不飮酒の一戒も、万事心の亂を制せん爲なり。酒を呑、湯をのむも、呑に隔はなしといへども、酒は亂に及ぶ物なれば、戀慕貪欲等の邪望〈他ノ一本望ヲ欲ニ作ル〉も、醉へれ〈他ノ一本レノ字ナシ〉ば起るが故にこれを戒む。不飮酒の一戒は心をば〈一本バノ濁點ナシ〉うらさじが爲なり。さて孝行すべしと說く。是は天下の道〈他ノ一本道ヲ通ニ作ル〉法なれば、汝提宇子、かたばかりに云ふと見へたり。此段猶後に聞ゆべし。初條にDsの內證に背くことならば、君父の命にも隨はざれ、身命をも輕んぜよとの一條は、國家を傾け奪ひ、佛法王法を泯絕せんとの心、玆に籠れるものなり。何ぞ早く此徒に炳誡を加へざらん。總じて至善の敎戒は、民生日用彛倫之外に求ることを待ず。人倫は其品繁多なりといへども五典に過ず。君臣父子夫婦〈一本夫婦ノ下兄弟ノ二字アリ〉朋友の其職分をつくさば、又何をか加へん。又これを亂す者は、惡逆無道にして、犯さずと云ことなし。君臣の職分には忠賞あり、父子の職分は孝慈、夫婦の職分は別々の義、兄弟の職分は弟愛、朋友の職分は信なり。此五典の性を人に賦するは天命の職分なり。然を汝提宇子は云ふ、デウスの內證に背く義ならば、君臣の忠義を捨、孝悌の因をも存せざれと勸むること、之に過る惡逆いづくに在べきぞ。其デウスの內證に背く義と云は、第一Dsを背て佛神に歸依することなり。故に提宇子の宗旨を替へ、佛神に歸依せよとの君命、さしもに重けれども、身命を惜まず、五刑の罪に逢ふといへども、却て之を悅ぶ。看よ々々、君命よりも伴天連が下知を重じ、父母の恩惠よりも、伴天連が敎化猶辱けなしとすることを。日本は神國にして、天照太神より次第受禪し玉ひ、鸕鷀草葺不合尊に至り、其御子神武天皇、百王の太祖と成玉ひ、三種の神器、天下の護りと成玉ふ上、吾朝の風俗皆神道に依らずと云ことなし。又聖德太子は權化の神聖にて在ませば、天照太神の御心を受て、吾國の道を弘め玉はん爲に、佛法を盛んにし玉ひしより佛國とも成れり。然を提宇子、時節を守り、日本悉く門徒となし、佛法神道を亡さんとす。神道佛法あればこそ王法も盛んなれ。王法在してこそ、佛神の威も增に、王法を傾け佛神を亡し、日本の風俗をのけ、提宇子、己が國の風俗を移し、自ら國を奪んとの謀を囘らすより外、別に術なし。呂宋、ノウバ、イスバニヤなどの、禽獸に近き夷狄の國をば、兵を遣して之を奪ふ。吾朝はさしも勇猛他に越たる國なるが故に、法を弘めて、千年の後にも之を奪んと思ふ志、骨髓に徹してあり。いぶせき哉。マルチリ〈一本リヲルニ作ル〉とて、法の爲には身命を塵芥よりも輕くさすること、賢君天下を治め玉ふには、勸善懲惡の義あり。善を勸むるは賞、悪を懲すは罸、罸は命を絕するより大なるはなきに、提宇子の命をたゝるゝをも恐れず、宗旨を替へざるは、誠に甚だ怖るべき者なり。此猛惡何國より起るぞと見れば、第一のマダメント、万事に越て、Dsを大切に敬ひ奉れと云より也。如是邪法を弘むるは、偏に天魔の所行なり。此等の邪說巨細に擧て、上聞には達すべからず。君誠に聰明叡智に在ませば、一を聞召ても十を察し玉ふ。上より深く彼徒を戒め退治し玉ふこと傳聞く。昔日異朝の聖主、猛獸を退け、洪水を治め、民の居を安すんぜしめ玉ふ恩澤にも、勝れること百倍せり。猛獸洪水は色身の讎〈一本讎ヲ怨ニ作ル〉、彼の徒は眞を亂する佛敵法敵、特には國を奪んとする殘賊の徒なり。誰か之を惡まざらん。さて又、名をつけ塩をなめさせ、燈に手をかけさする體の義は、是非を論ずるに足らず。此ハウチスモの授を受ざる者は、善人とてもデウス扶けられずと云。此理聞へず。授を受ぬ者とても、善人ならば何に依てか罸を與ふべき。大明に無私照、大親に私親なしとこそ云なるに、是は吾方さまのもの、是は我心に叶ひたる者など云ふ、私ある底のデウスならば皆人間の氣なり。人間の氣を以て天命を量る、甚だ無學の至なり。

右は是、提宇子七段の談義の所詮を擧て論じ畢ぬ。予本より才短かければ、論談の答話、諒〈他ノ一本諒ノ下ニノ字アリ〉以淺近なり。蓋し問に答處あり、答に問處あること常の法なり。智者之を笑こと勿れ。又左には問にかゝはらず、平生のことを書して夜話となすものなり。

或云、其以てする所を視、其由ふ所を觀、其安ずる所を察すれば、人焉ぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや〈一本ヤノ下トノ字アリ〉。孔子宣ふと聞く。然れば提宇子の伴天連、平生の受用如何かある。答て云く、惣じて寺と云ば何れも寺法なくて叶はず。寺法と云へば惡きこともなき物にてそろへば〈他ノ一本ソロヘバヲ候ヘドモニ作ル〉、提宇子の寺にも朝夕の勤行あつて、朝の勤をばシイサと云て經を讀む。又ヲスチヤとて、小麥の粉にて南蠻煎餅の如くなるものに、要文を唱ふれば、ゼスキリシトの眞肉となると云。又ぶ〈一本ブヲ葡ニ作ル〉萄の酒を銀盞につぎ、同く文を唱ふれば、ゼズキリシト〈他ノ一本トノ下ノノ字アリ〉眞血となると云て、彼煎餅を食ひ、而して右の酒を呑むつとめの候。小麥のせんべいがゼズキリシトの肉となり、蔔〈一本蔔ヲ葡ニ作ル〉萄の酒が血にへんずると云こと、人の信用に足ざること、又有難き行ひとも見〈一本見ノ下ズノ字アリ〉候。さて慢心は諸惡の根元、謙るは諸善の礎なれば、謙るを本とせよと人には勸むれども、性得の國の習ひか、彼等が高慢には天魔も及ぶべからず。此高まん故に、他の門派の伴天連と威勢爭ひにて喧嘩口論にをよぶこと、世俗もそこのけにて、見苦しきこと御推量の外と思召せ。餘りのことに天川にては確執にをよぶ。此七〈一本七ノ下八ノ字アリ〉箇年以前のこととやらん傳承る。バレンチイノカルワリヨと云ふ伴天連の總司、棒ちぎりを橫たへ、先をかけて他寺え押寄る上、イルマン同宿、我さきにと面々道具を携へ、寺中へをしこみ、高樓の上より、鉄鉋を放ち掛などする迠にありしと申す。出家としての上にて、是の如きの振舞は似合ぬことにて候はずや。

或問ふ〈他ノ一本フヲ曰ニ作ル〉、南蠻人と日本人とのあゐさつ、寺中にて何とかある。答て云、夫も右の物語にて御推察あるべし。高まんなる者共なるが故に、日本人をば人とも思はず。去によりて日本人も又是をすまずと思ふを以て、眞實あいさつのよきことも候はず。其上日本に住する伴天連、イルマンのはごくみをば、南蠻の帝王より繼らるゝに、日本人は何としても我本意に叶ふべからず。向後は日本人を伴天連になすこと勿れとの義にて、皆面白くも存ぜず。此本意に叶ふべからずと云は、何としたる心持にてあらんと云ふことは、御推量あるべし。日本をねらふに、國人は何と云ふとも、國の贔負あらんと思ふ故と思召せ。

〈他ノ一本或ノ下人ノ字アリ〉問、總じて提宇子は無欲にして、慈悲を本とすると聞。誠なるか。

答云、無欲貪欲の際は存ぜず。檀那を貪り、金銀に目をくるゝこと、彼等より初まりたることにて候。たといあの檀那は戒法をもよく守り、善人と譽れども、貧者なれば、そこにあしらい、〈他ノ一本無ノ上アシクノ三字アリ〉無信心なる破戒の者といへども、富る人をば馳走奔そうし、大檀那にてもをちぶれたる時は見たる者かともせず。さてまた慈悲にして嚫施を本とすると云へども、皆〈一本皆ノ下是ノ字アリ〉名利の爲にして、さりとはと奇特がられて門徒を付ん爲にすることと思召せ。

或問、提宇子の伴天連は、餘の義はさもあらばあれ、邪婬の道を〈一本道ヲノ下バノ字アリ〉よくきりたりと云は如何に。

答云、是は人によりてさもあるべし。人によりてと申すにて御分別まいるべし。日本にてはまだ耻るによりて、此等のことも十分が一と聞ゆ。呂宋、南蠻、ノウバ、イスバニヤなどにては、三冥をさかいたることと、人の語るを承る。別してケレルゴと云伴天連などは、妻對〈帶カ〉の女に子を持つと申す。但し子を持は名に應じては本意とや申すべき。伴天連とは父と云詞なれば、子無しては父の義理立がたかるべきにや。

或問、提宇子のコンヒサンと云ふは、何としたる因緣ぞ。

答云、さることにて候。ゼスキリシト在世の〈一本ノノ下時ノ字アリ〉ベイトロと云第一の弟子に、汝地にて赦すべき科をば、我天に於ても赦すべしとの約ありし故、コンヒサンと云義は始りたりと云。去ればコンヒサンの時は他を近附ず、我と伴天連と唯二人相對して、山賊、海賊等の義をなし、若は父を殺し母を殺す五逆罪、國家を傾んとの謀反々逆等の大犯なりとも、殘らず懺悔するに、伴天連これを聞て赦せば、其罪消滅すると云ふ。さりとては魔法にて候ぞ。國家を覆す程の大逆をも、伴天連聞て赦せば、其罪消滅するぞと敎えるは、偏に科を犯しても苦しからぬ物ぞと弘むる同前なり。是を以て見る時は、伴天連は殘賊の棟梁、謀反殺害人の導師とも云つべし。兎にも角にも、いやなる宗旨と思召せ。

或問、提宇子の宗旨には奇特多く、別してマルチルと云て、法の爲に命を捨る者共の上にては奇瑞多と聞。實否如何が候や。

答云、其事にて候。何事も聞ては千鈞より重く、見ては一兩よりも輕き習ひと思召せ。彼徒奧深きやうに申せども、左も無候ぞ。我等も十九出家の後、彼寺に二十二三年も修行を經、人の數にもかぞへられて候が、何にても奇特なることは一も見ず候。又マルチルの上にも何にても奇瑞〈一本瑞ヲ特ニ作ル〉を見ず候。總じて新しき宗旨建立の初には、邪正を糺して初祖を逼迫せしむることある習にて候。喩へば、高祖日蓮聖人は大難四度、小難數を知らず。法の爲に浮沉に及び玉ふ內〈他ノ一本內ヲ成ニ作ル〉に、鎌倉にては相摸守の下知にて、高祖の頭を刎んと敷皮の上に引居〈一本居ヲ揚ニ作ル〉られ、旣に太刀取、白刄を提げ、後に囘り太刀を振揚んとすれば、靈光、高祖〈一本高祖ノ下ヲノ字アリ〉圍み、刀刄段々と成て、太刀取の目くれ、はなぢたつて地に倒る。其外、殿中も電光の如く輝きわたる靈夢等の奇瑞によりて、聖人權者にてもましますこと露顯して、相摸守も驚かれ、刑戮を止め玉ふ。猶委くは傳記に在べし。加樣の奇瑞有て、弘通の處、正法たる義を徹し玉ひてこそ、濁世末法の今にも人皆渴仰の〈他ノ一本ノヲシニ作ル〉首を傾け候へ。邪法を弘る伴天連誅戮に行はるれども、奇も瑞も見えず候。但し此七八箇年以前のこととやらん、去人の語られしを承る。長崎にて伴天連誅戮〈一本戮ヲ罸ニ作ル〉せられしに、屈み居たる伴天連共、又は門徒ども、すはや奇特も在べきぞと思ひ、內々心を空になして居たるに、長谷川佐兵衞尉藤廣、御代官として長崎に在て、彼徒がみこゝゝしく童部らしきことを能く知りたるによりて、彼等を欺んと、童部共のもてあそびの烏賊のぼりとやらん云物をこしらへ、其上蠟燭をもや〈一本モヤヲトモニ作ル〉し、宵すぎたる〈一本スギタルヲ過ルニ作ル〉程に、糸をひかへ、風に乘じていなさと云ふ所より長崎の上へ揚げしに、伴天連も、門徒の者共も、すはあれを見よ、云ざることか。白雲一村たなびきて天より光明の下り玉ふことをと、のゝめきあへるに、佐兵衞は微笑し、知らぬ㒵にて居られたりしかども、次第に此事隱れなかりしかば、欺かれしことを無念とは思ひながら、なきねいりに成たると承る。加樣のことをマルチルの奇特と申すべきは存ぜず、別に珍らしきことは見たることも聞たることも候はず。

或云、如此提宇子の宗旨を裸になさば、左こそ彼徒の惡み深く候らん。

〈他ノ一本答ノ下云ノ字アリ〉、仰の如く其段は御推察有べし。初て寺を退し砌、彼等に路次にて、自然は行逢て、何かと云はんも無心に存、彼宗のなからん所へと存、南都へ打越罷居て候ひしに、折節仕合の惡きにや。其比大久保石見、彼地の御代官にてありつるか、其下代の者とて、提宇子にて候しに、我等の義を伴天連、彼が許へ訴へ遣し、闇打にもせよと云しに依て、左あるべき由を吿げ知する者候し間、危邦には居らずとさへ申すに、况や自己の危き所をば退かざらんやと存じ、木津川より船に乘り、枚方〈一本枚方ヲ牧方ニ作ル〉の上、中宮と云在所に行き、暫く其所に隱居致し候ひき。其後も覘ひたるように承れども、さすが治まる御代には、猥に宿意も遂げ難きにや、さることも候はず。融の諷〈一本諷ヲ謠ニ作ル〉にて候か、秋の夜の長物がたりよしなや。先いさや、汐を汲んと翁の申せし節に、無益の長物語に夜を深して候。件の如のことを申さ〈一本サヲセニ作ル〉ば、誠に秋の夜の千夜を一夜になし語るとも、詞は殘り夜は明け候ひなん。万事は御推察あるべし。

 元和六庚申曆孟春

ハビアン誌之

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