吾輩は猫である - Wikisource


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 わがはいは猫である。名前はまだ無い。

 どこで生れたかとんとけんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番どうあくな種族であったそうだ。この書生というのは時々我々をつかまえてて食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼のてのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というもののみはじめであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるでやかんだ。その猫にもだいぶったがこんなかたわには一度もでくわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうとけむりを吹く。どうもせぽくて実に弱った。これが人間の飲むたばこというものである事はようやくこの頃知った。

 この書生の掌のうちでしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないがむやみに眼が廻る。胸が悪くなる。とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。

 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。かんじんの母親さえ姿を隠してしまった。その上いままでの所とは違ってむやみに明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でもようすがおかしいと、のそのそい出して見ると非常に痛い。吾輩はわらの上から急に笹原の中へ棄てられたのである。

 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれというふんべつも出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいからくいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池をひだりに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりにって行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへはいったら、どうにかなると思って竹垣のくずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついにろぼうがししたかも知れんのである。一樹の蔭とはよくったものだ。この垣根の穴はこんにちに至るまで吾輩がとなりの三毛を訪問する時の通路になっている。さてやしきへは忍び込んだもののこれから先どうしていか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻のゆうよが出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩はの書生以外の人間を再び見るべき機会にそうぐうしたのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなりくびすじをつかんで表へほうり出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんのすきを見て台所へあがった。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんのさんまぬすんでこの返報をしてやってから、やっと胸のつかえが下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、このうちの主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこのやどなしの小猫がいくら出しても出してもおだいどころあがって来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛をひねりながら吾輩の顔をしばらくながめておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へはいってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女はくやしそうに吾輩を台所へほうり出した。かくして吾輩はついにこのうちを自分のすみかめる事にしたのである。

 吾輩の主人はめったに吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいて見るが、彼はよくひるねをしている事がある。時々読みかけてある本の上によだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色がたんこうしょくを帯びて弾力のないふかっぱつな徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実にらくなものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。

 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行ってもね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、こんにちに至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人のそばにいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼のひざの上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずそのせなかに乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝はめしびつの上、夜はこたつの上、天気のよい昼はえんがわへ寝る事とした。しかし一番心持の好いのはってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へはいってひとまへ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間におのれをるべき余地をみいだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼をますが最後大変な事になる。小供は——ことに小さい方がたちがわるい——猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人はかならず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現にせんだってなどはものさしで尻ぺたをひどくたたかれた。

 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等はわがままなものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々どうきんする小供のごときに至ってはごんごどうだんである。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、ほうり出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものならかない総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪をいだら細君が非常におこってそれから容易に座敷へれない。台所の板の間でひとふるえていてもいっこう平気なものである。吾輩の尊敬するすじむこうの白君などはたびごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋まれたのである。ところがそこのうちの書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等ねこぞくが親子の愛をまったくして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれをそうめつせねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りのみけ君などは人間が所有権という事を解していないといっておおいに憤慨している。元来我々同族間ではめざしの頭でもぼらへそでも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えていくらいのものだ。しかるに彼等人間はごうもこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のためにりゃくだつせらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものをうばってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。

 わがままで思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人にすぐれて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓にったり、うたいを習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。こうかの中で謡をうたって、近所でこうかせんせいあだなをつけられているにも関せずいっこう平気なもので、やはりこれはたいらむねもりにてそうろうを繰返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包みをげてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。当人もあまりうまくないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時にしものような話をしているのを聞いた。

「どうもうまくかけないものだね。人のを見ると何でもないようだがみずから筆をとって見るといまさらのようにむずかしく感ずる」これは主人のじゅっかいである。なるほどいつわりのない処だ。彼の友は金縁のめがねごしに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりでがかける訳のものではない。むかイタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天にせいしんあり。地にろかあり。飛ぶにとりあり。走るにけものあり。池に金魚あり。こぼくかんああり。自然はこれ一幅のだいかつがなりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」

「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人はむやみに感心している。金縁の裏にはあざけるようなわらいが見えた。

 その翌日吾輩は例のごとくえんがわに出て心持善くひるねをしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩のうしろで何かしきりにやっている。ふと眼がめて何をしているかといちぶばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトをめ込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友にやゆせられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでにじゅうぶん寝た。あくびがしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆をっているのを動いては気の毒だと思って、じっとしんぼうしておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりをいろどっている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫にまさるとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人にえがき出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩はペルシャさんの猫のごとく黄を含める淡灰色にうるしのごときふいりの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければとびいろでもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないからめくらだか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ない。なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。みうちの筋肉はむずむずする。もはや一分もゆうよが出来ぬしぎとなったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあとだいなる欠伸をした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ主人の予定はわしたのだから、ついでに裏へ行って用をそうと思ってのそのそ這い出した。すると主人は失望と怒りをき交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」とどなった。この主人は人をののしるときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、むやみに馬鹿野郎よばわりは失敬だと思う。それも平生吾輩が彼のせなかへ乗る時に少しは好い顔でもするならこのまんばも甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とはひどい。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。

 わがままもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。

 吾輩の家の裏に十坪ばかりのちゃえんがある。広くはないがさっぱりとした心持ち好く日のあたる所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出てこうぜんの気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩はちゅうはんご快よく一睡したのち、運動かたがたこの茶園へとを運ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのもいっこう心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きないびきをして長々と体をよこたえて眠っている。ひとの庭内に忍び入りたるものがかくまで平気にねむられるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫である。わずかにを過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上にげかけて、きらきらするにこげの間より眼に見えぬ炎でもずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前にちょりつして余念もなくながめていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たるごとうの枝をかろく誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとそのまんまるの眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重するこはくというものよりもはるかに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。そうぼうの奥から射るごとき光を吾輩のわいしょうなるひたいの上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。しかしあいさつをしないとけんのんだと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気をよそおって冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼はおおいけいべつせる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんだ」随分ぼうじゃくぶじんである。「吾輩はここの教師のうちにいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやにせてるじゃねえか」と大王だけにきえんを吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしそのあぶらぎって肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「れあ車屋のくろよ」こうぜんたるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義のまとになっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々けいぶの念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思っての問答をして見た。

「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」

「車屋の方が強いにきまっていらあな。御めえうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」

「君も車屋の猫だけにだいぶ強そうだ。車屋にいるとごちそうが食えると見えるね」

なあおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかもちゃばたけばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっとおれあとへくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」

「追ってそう願う事にしよう。しかしうちは教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」

べらぼうめ、うちなんかいくら大きくたって腹のしになるもんか」

 彼はおおいかんしゃくさわった様子で、かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒とちきになったのはこれからである。

 その吾輩はたびたび黒とかいこうする。邂逅するごとに彼は車屋相当のきえんを吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。

 或る日例のごとく吾輩と黒は暖かいちゃばたけの中でねころびながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつものじまんばなしをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向ってしものごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至ってはとうてい黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがにきまりがくはなかった。けれども事実は事実でいつわる訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだらない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんとつっぱっている長いひげをびりびりとふるわせて非常に笑った。元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼のきえんを感心したようにのどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫である。吾輩は彼と近付になってからすぐにこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじいおのれを弁護してますます形勢をわるくするのもである、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すにくはないと思案をさだめた。そこでおとなしく「君などは年が年であるからだいぶんとったろう」とそそのかして見た。果然彼はしょうへきけっしょとっかんして来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向ってひどい目にった」「へえなるほど」とあいづちを打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主がいしばいの袋を持ってえんの下へい込んだら御めえ大きないたちの野郎がめんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こんちきしょうって気で追っかけてとうとうどぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」とかっさいしてやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴めさいごをこきゃがった。くせえの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気をいまなお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君ににらまれては百年目だろう。君はあまり鼠をるのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果をていしゅつした。彼はきぜんとしてたいそくしていう。「かんげえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって——一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰がったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれの御蔭でもう壱円五十銭くらいもうけていやがる癖に、ろくなものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあていい泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいのりくつはわかると見えてすこぶるおこったようすで背中の毛をさかだてている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場をごまかしてうちへ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走をあさってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師のうちにいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。

 教師といえば吾輩の主人も近頃に至ってはとうてい水彩画においてのぞみのない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。

○○と云う人に今日の会で始めてであった。あの人はだいぶほうとうをした人だと云うがなるほどつうじんらしいふうさいをしている。こう云うたちの人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、うらやましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思ってすましている。料理屋の酒を飲んだり待合へはいるから通人となり得るという論が立つなら、吾輩もひとかどの水彩画家になり得るりくつだ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、ぐまいなる通人よりも山出しのおおやぼの方がはるかに上等だ。

 つうじんろんはちょっとしゅこうしかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとくじちめいあるにも関せずそのうぬぼれしんはなかなか抜けない。なかふつか置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

ゆうべは僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらにほうって置いたのを誰かが立派な額にしてらんまけてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだとひとりで眺め暮らしていると、夜が明けて眼がめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

 主人は夢のうちまで水彩画の未練をしょってあるいていると見える。これでは水彩画家は無論ふうしいわゆる通人にもなれないたちだ。

 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁めがねの美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくとへきとう第一に「はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生をつとめているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋ではむかしから写生を主張した結果こんにちのように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれはでたらめだよ」と頭をく。「何が」と主人はまだいつわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっとねつぞうした話だ。君がそんなにまじめに信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦のていである。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事がしるさるるであろうかとあらかじめ想像せざるを得なかった。この美学者はこんないい加減な事を吹き散らして人をかつぐのを唯一のたのしみにしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人のじょうせんにいかなる響を伝えたかをごうも顧慮せざるもののごとく得意になってしものような事をしゃべった。「いや時々じょうだんを言うと人がに受けるのでおおいこっけいてき美感をちょうはつするのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノのはなしが出たから僕はあれは歴史小説のうちはくびである。ことに女主人公が死ぬところはきき人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんなでたらめをいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人をあざむくのはさしつかえない、ただばけかわがあらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにそのときゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだからをかいても駄目だという目付で「しかしじょうだんは冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほどせついんなどにはいって雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「まただますのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。

 車屋の黒はそのびっこになった。彼の光沢ある毛はだんだん色がめて抜けて来る。吾輩がこはくよりも美しいと評した彼の眼にはめやにが一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意をいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例のちゃえんで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちさいごっぺさかなやてんびんぼうにはこりごりだ」といった。

 赤松の間に二三段のこうを綴ったこうようむかしの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代るはなびらをこぼしたこうはくさざんかも残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いてこがらしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がする。

 主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立てこもる。人が来ると、教師がいやだ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、まりをついて、時々吾輩をしっぽでぶら下げる。

 吾輩はごちそうも食わないから別段ふとりもしないが、まずまず健康でびっこにもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんはいまだにきらいである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないからしょうがいこの教師のうちで無名の猫で終るつもりだ。

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 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。

 元朝早々主人のもとへ一枚のえはがきが来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部をふかみどりで塗って、その真中に一の動物がうずくまっているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、たてから眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだをじ向けたり、手を延ばして年寄がさんぜそうを見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないとひざが揺れてけんのんでたまらない。ようやくの事で動揺があまりはげしくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうとう。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品になかば開いて、落ちつき払って見るとまぎれもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトをめ込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫のうちでもほかの猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派にいてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものはとうてい吾輩ねこぞくの言語を解し得るくらいに天のめぐみに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。

 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間のかすから牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会にはいって見るとなかなか複雑なもので十人といろという人間界のことばはそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。ひげの張り具合から耳の立ちあんばいしっぽの垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、すいぶすいかずくして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論そうぼうの末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとはむかしからあることばだそうだがその通り、もちやは餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等がみずから信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪いかきのごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口をひらいた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したようなつらがまえをしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊のだろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。

 吾輩が主人のひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二のえはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃをおどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右のわきに書を読むやおどるや猫のはるひとひという俳句さえしたためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首をひねって、はてな今年は猫の年かなとひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのをだ気が着かずにいると見える。

 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、かたわらにきょうしゅくながらかの猫へもよろしくごでんせいねがいあげたてまつりそろとある。いかにうえんな主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個のしんめんぼくを施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。

 おりから門のこうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩はさかなやの梅公がくる時のほかは出ない事にめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらいへんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣のこんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来てかんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているというはなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分をおもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、すごいようなつやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからしてがてんが行かぬが、あのかきてき主人がそんな談話を聞いて時々あいづちを打つのはなお面白い。

「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮からおおいに活動しているものですから、よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織のひもをひねくりながらなぞ見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、くろもめんの紋付羽織のそでぐちを引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所でしいたけを食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸のかさを前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だかじじいくさいね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭をかろく叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君はおおいに吾輩をめる。「近頃だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三ちょうとピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女でわたしがその中へまじりましたが、自分でも善くけたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人はうらやましそうに問いかける。元来主人は平常こぼくかんがんのような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっとれる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱にはれんちゃくするという事がふうしてきに書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男がなぜ牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などにはとうてい分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病なたちだからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君のおんなづれを羨ましに尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうにくちとりかまぼこを箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人ともる所の令嬢ですよ、御存じのかたじゃありません」とよそよそしい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもうい加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、おひまならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」とうながして見る。主人は旅順の陥落よりおんなづれの身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄のかたみとかいう二十年来きふるしたゆうきつむぎの綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装にはしわすも正月もない。ふだん着もよそゆきもない。出るときはふところでをしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。

 ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切ったかまぼこの残りをちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まずももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚をぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などはもとより眼中にない。蒲鉾のひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んでかんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちのおさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品なしつけを受けつつあると細君からふいちょうせられているこどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間にむかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食うパンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうどさとうつぼたくの上に置かれてさじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中からひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。しばらくりょうにんにらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ているに一杯一杯一杯と重なって、ついにはふたりの皿には山盛の砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけまなここすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫よりまさっているかも知れぬが、ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早くめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながらおはちの上から黙って見物していた。

 寒月君と出掛けた主人はどこをどうあるいたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓にいたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまってぞうにを食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でもむきれななきれ食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうとはしを置いた。他人がそんなわがままをすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中にただれた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君がふくろどの奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それはかないから飲まん」という。「でもあなたでんぷんしつのものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」とがんこに出る。「あなたはほんとにきっぽい」と細君がひとりごとのようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」とついくのような返事をする。「そんなに飲んだりめたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利くきづかいはありません、もう少ししんぼうがよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えたおさんを顧みる。「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とてもい薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非つめばらを切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へはいる。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときにあとからくっ付いて行ってひざの上へ乗ると、大変な目にわされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へあがって障子のすきからのぞいて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本をひらいて見ておった。もしそれがいつもの通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本をたたき付けるように机の上へほうり出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出してしものような事を書きつけた。

寒月と、根津、上野、いけはた、神田へんを散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様のはるぎをきて羽根をついていた。いしょうは美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた。

 何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だってきたどこへ行って顔さえってもらやあ、そんなに人間とちがったところはありゃしない。人間はこううぬぼれているから困る。

ほうたんかどを曲るとまた一人芸者が来た。これはせいのすらりとしたなでがたかっこうよく出来上った女で、着ている薄紫のきものも素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃんゆうべは——つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声はたびがらすのごとくしゃがれておったので、せっかくのふうさいおおいに下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、ふところでのままおなりみちへ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。

 人間の心理ほどし難いものはない。この主人の今の心はおこっているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書にいちどうの慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へまじりたいのだか、くだらぬ事にかんしゃくを起しているのか、ぶつがいちょうぜんとしているのだかさっぱりけんとうが付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、おこるときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等ねこぞくに至るとぎょうじゅうざがこうしそうにょうことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒なてかずをして、おのれのしんめんもくを保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。

神田の某亭でばんさんを食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたってかないものは利かないのだ。

 むやみにタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云うへんに存するのかも知れない。

せんだって○○はあさめしを廃すると胃がよくなると云うたからにさんち朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非こうものてと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源をらす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物にはしを触れなかったが別段のげんも見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれはあんぷくもみりょうじに限る。ただし普通のではゆかぬ。みながわりゅうという古流なみ方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。やすいそっけんも大変このあんまじゅつを愛していた。さかもとりょうまのような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速かみねぎしまで出掛けてまして見た。ところが骨をまなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度てんとうしなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なみ方をやる。後で身体が綿のようになってこんすいびょうにかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏はおうかくまくで呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となくふくちゅうが不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者のめいていがこのていを見て、さんけのついた男じゃあるまいしすがいいと冷かしたからこの頃はしてしまった。C先生はそばを食ったらよかろうと云うから、早速かけもりをかわるがわる食ったが、これは腹がくだるばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかにききめがある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。

 これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩のめだまのように間断なく変化している。何をやってもながもちのしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向はおおいに痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人でなにがしという学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。だいぶ研究したものと見えて、条理がめいせきで秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これをはんばくするほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいるさいだから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」とめ付けたので主人はもくねんとしていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝ぞうにをあんなにたくさん食ったのもゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。

 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁のさかなやまで遠征をする気力はないし、しんみちにげんきんの師匠のとこみけのようにぜいたくは無論云える身分でない。従って存外きらいは少ない方だ。小供の食いこぼしたパンも食うし、餅菓子のあんもなめる。こうものはすこぶるまずいが経験のためたくあんを二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれはいやだ、これは嫌だと云うのはぜいたくな我儘で到底教師のうちにいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによるとフランスにバルザックという小説家があったそうだ。この男が大のぜいたく屋で——もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人はもとよりなんにも知らずに連れ出されたのであるが、バルザックはねて自分の苦心している名をめつけようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見てあるいている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れてむやみにあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩までパリを探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名がかいてある。バルザックは手をって「これだこれだこれに限る。マーカスは好い名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申しぶんのない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となくわざとらしいところがあって面白くない。ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるにいちんちパリを探険しなくてはならぬようでは随分てすうのかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のようにかきてき主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今ぞうにが食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。

 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底にこうちゃくしている。白状するが餅というものは今まで一ぺんも口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しはきびがわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉をき寄せる。爪を見ると餅のうわかわが引き掛ってねばねばする。いで見ると釜の底の飯をおはちへ移す時のようなにおいがする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。おさんは暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこのせつなに猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否わんていの様子を熟視すればするほどきびが悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩はおしげもなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくらちゅうちょしていても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中をのぞき込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角をいっすんばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものならみ切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一ぺん噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなとかんづいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうとあせるたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとくじんみらいざいかたのつくはあるまいと思われた。このはんもんの際吾輩は覚えず第二の真理にほうちゃくした。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているのでごうも愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないとおさんが来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へけ出して来るに相違ない。煩悶のきょくしっぽをぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳としっぽは餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲をで廻す。でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度はひだりの方をのばして口を中心として急劇に円をかくして見る。そんなまじないで魔は落ちない。しんぼうかんじんだと思って左右かわがわるに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけはあとあし二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っき廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用にっていられたものだと思う。第三の真理がばくちげんぜんする。「危きにのぞめば平常なしあたわざるところのものをし能う。これてんゆうという」さいわいに天祐をけたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るようなけわいである。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよやっきとなって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ちって勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君はちりめんの紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったのできょうらんきとうに何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行もだいぶけんもんしたが、この時ほどうらめしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消えせて、在来の通りばいになって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女をかえりみる。おさんは御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。かんげつ君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯をなさけ容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へはいってしまっておった。

 こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気をえて新道のにげんきんの御師匠さんのとこみけこでも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名なびぼうかである。吾輩は猫には相違ないが物のなさけは一通り心得ている。うちで主人のにがい顔を見たり、御三のけんつくを食って気分がすぐれん時は必ずこの異性のほうゆうもとを訪問していろいろな話をする。すると、いつのにか心がせいせいして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実にばくだいなものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よくえんがわに坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。しっぽの曲がり加減、足の折り具合、ものうげに耳をちょいちょい振るけしきなどもとうてい形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、ひんよくひかえているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、びろうどあざむくほどのなめらかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらくこうこつとしてながめていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいいだと感心しているに、吾輩のそばに来て「あら先生、おめでとう」と尾をひだりへ振る。吾等ねこぞく間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師のうちにいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われてまんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮おししょうさんに買って頂いたの、いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善いですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いいでしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべてあんきんせんの意をらす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻のあなを三角にしてのどぼとけを震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたのとこの御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。おししょうさんだわ。にげんきんの御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれむかしは立派な方なんでしょうな」「ええ」

  君を待つの姫小松……………

 障子の内で御師匠さんが二絃琴をき出す。「い声でしょう」と三毛子は自慢する。「いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少しが抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でもてんしょういん様のごゆうひつの妹の御嫁に行ったきのっかさんのおいの娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁にった先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。つまるところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰のうそかねばならぬ事がある。

 障子のうちで二絃琴のがぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、あたし帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさかぞうにを食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しはなごり惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例のちゃえんを通り抜けようと思ってしもばしらけかかったのを踏みつけながらけんにんじくずれから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上にを山にしてあくびをしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質としてひとおのれをけいぶしたと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしのごんべえ、近頃じゃおつう高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきならあするねえ。ひとつけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいがとうてい分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早くごめんこうむるにくはないと決心した。「いや黒君おめでとう。あいかわらず元気がいいね」としっぽを立てて左へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、このむこづらめ」吹い子の向うづらという句はばりの言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっとうかがうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえがあくたいをつかれてる癖に、そのわけを聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬにまっているから、めんむかったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰のていである。すると突然黒のうちのかみさんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いたしゃけがない。大変だ。またあの黒のちきしょうが取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」とどなる。はつはるのどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君がみよおおいぞくりょうしてしまう。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角なあごを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君あいかわらずやってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人をみくびった事をいうねえ。はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足をかに肩のへんまでき上げた。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのをしきりに吹き懸ける。人間ならむなぐらをとられて小突き廻されるところである。少々へきえきして内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一きんすぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声がしりんせきばくを破る。「へん年に一遍牛肉をあつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえあまだ」と黒はあざけりながら四つ足をふんばる。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のためにあつらえたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然あとあししもばしらくずれた奴を吾輩の頭へばさりとびせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っているに黒は垣根をくぐって、どこかへ姿を隠した。大方西川のぎゅうねらいに行ったものであろう。

 うちへ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側からあがって主人のそばへ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、もめんの紋付の羽織にこくらはかまを着けてしごく真面目そうなしょせいていの男である。主人の手あぶりの角を見るとしゅんけいぬりのまきたばこ入れと並んでおちとうふうくんを紹介致そろ水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。しゅかくの対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。

「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行ってひるめしを食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶をぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあのかたの事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、ひざの上に乗った吾輩の頭をぽかとたたく。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まずこんだてを見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「あつらえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首をひねってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気でかものロースか小牛のチャップなどはいかがですと云うと、先生は、そんなつきなみを食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君フランスイギリスへ行くと随分てんめいちょうまんようちょうが食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版でしたようで、どうも西洋料理へはいる気がしないと云うようなだいきえんで——全体あのかたは洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てたしゃれなんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつのに洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話やかえるのシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」とかびんの水仙を眺める。少しく残念のけしきにも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞をはさむ。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向ってそこつびているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーににんまえ持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますますまじめかおメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボートチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実にこっけいなんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーおあいにくさまメンチボーならおふたりまえすぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来たかいがない。どうかトチメンボーつごうして食わせてもらうわけには行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来てまことに御生憎で、おあつらえならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、わたくしも仕方がないから、ふところから日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやにてすうが掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席をすすめる。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうもいかんですな、遺憾きわまるですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。ひざが揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにもとんじゃくなく笑う。アンドレア・デル・サルトにかかったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、とちめんぼうを種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実はひるめしの時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩ののどを鳴らす音がしゅかくの耳に入る。

 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずにます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油をす。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何かふしでも附けて、しいか文章のるいを読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、おいおいは同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というとはくらくてんびわこうのようなものででもあるんですか」「いいえ」「ぶそんしゅんぷうばていきょくの種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松のしんじゅうものをやりました」「近松? あのじょうるりの近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松にきまっている。それを聞き直す主人はよほどだと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭をていねいでている。やぶにらみかられられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいのごびゅうは決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えてとうふうしは主人の顔色をうかがう。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割をめてやるんですか」「役を極めてかけあいでやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでもでっちでも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええいしょうかきわりがないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せてよしわらへ行くとこなんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首をかたむける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳をかすめて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、おいらんなかいやりてけんばんだけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっとにがい顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのはしょうかかひにあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのがおんなべやじょやく見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るようにこわいろを使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋にれいぞくするもので、遣手は娼家にきがする者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所をすのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何をつかさどっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日にはとんちんかんなものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、くちひげを生やして、女の甘ったるいせりふをかうのですからちょっと妙でした。それにその花魁がしゃくを起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「わたくしは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭がつとまるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気をらす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しもりゅうとうだびに終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。わたくしが船頭のこわいろを使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今までらえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、きまりがるい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしてもあとがつづけられないので、とうとうそれりで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えずのどぼとけがごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭をでてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々ちょうじを述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうにこぎくばんの帳面を出す。「これへどうか御署名の上ごなついんを願いたいので」と帳面を主人のひざの前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よくせいぞろいをしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」とかきせんせいけねんていに見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえおひょうくださればそれで結構です」「そんならはいります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておればむほんの連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。のみならずこう知名の学者が名前をつらねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口にほおばる。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝のぞうに事件をちょっと思い出す。主人が書斎からいんぎょうを持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラがひときれ足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。

 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつのにか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年のぎょけいめでたくもうしおさめそろ。……」

 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「そのご別にれんちゃくせる婦人もこれなく、いずかたよりえんしょも参らず、ず無事に消光まかり在りそろ間、はばかりながら御休心くださるべくそろ」と云うのが来たくらいである。それにくらべるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕りたく候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針をもって、此千古みぞうの新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上そろ……」

 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

「昨日は一刻のひまをぬすみ、東風子にトチメンボーごちそうを致さんと存じそろところあいにく材料払底のめ其意を果さず、いかん千万にぞんじそろ。……」

 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

「明日は某男爵のかるたかい、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」

 うるさいなと、主人は読みとばす。

「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致しそろ為め、やむをえず賀状を以てはいすうの礼にそろだんあしからずごゆうじょくだされたくそろ。……」

 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供したき心得に御座そろかんちゅう何の珍味もこれなくそうらえども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛おりそろ。……」

 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

しかトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合いかねそろも計りがたきにつき、其節はくじゃくしたでも御風味に入れもうすべくそろ。……」

 りょうてんびんをかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指のなかばにも足らぬ程故けんたんなる大兄のいぶくろたす為には……」

 うそをつけと主人は打ちったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざるべからずとぞんじそろ。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋などにはいっこう見当りもうさずくしんこのことに御座そろ。……」

 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人はごうも感謝の意を表しない。

「此孔雀の舌の料理はおうせきローマ全盛のみぎり、一時非常に流行致しそろものにて、ごうしゃ風流の極度と平生よりひそかにしょくしを動かしおりそろ次第ごりょうさつくださるべくそろ。……」

 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

くだって十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味とあいなりおりそろ。レスター伯がエリザベスじょこうをケニルウォースに招待致しそろせつたしか孔雀を使用致しそろよう記憶いたしそろ。有名なるレンブラントがえがそろ饗宴の図にも孔雀が尾を広げたるまま卓上によこたわり居りそろ……」

 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱とあいなるはひつじょう……」

 大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

「歴史家の説によればローマじんは日に二度三度も宴会を開きそろよし。日に二度も三度もほうじょうしょくせんに就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調をかもすべく、従って自然は大兄の如く……」

 また大兄のごとくか、失敬な。

しかるにぜいたくと衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味をむさぼると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致しそろ……」

 はてねと主人は急に熱心になる。

「彼等は食後必ず入浴いたしそろ。入浴後一種の方法によりてよくぜんえんかせるものをことごとおうとし、胃内を掃除致しそろいないかくせいの功を奏したるのち又食卓にき、く迄珍味をふうこうし、風好しおわれば又湯に入りてこれとしゅついたしそろ。かくの如くすれば好物はむさぼり次第貪りそうろうごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事をもうすべきかと愚考いたしそろ……」

 なるほど一挙両得に相違ない。主人はうらやましそうな顔をする。

「廿世紀のこんにち交通のひんぱん、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成そろおりから、吾人戦勝国の国民は、是非共ローマ人にならって此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致しそろ事と自信いたしそろもなくばせっかくの大国民も近き将来に於てことごとく大兄の如く胃病患者と相成る事とひそかに心痛まかりありそろ……」

 また大兄のごとくか、しゃくさわる男だと主人が思う。

「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わばいわばわざわいみほうに防ぐのくどくにも相成り平素いつらくほしいままに致しそろ御恩返も相立ちもうすべくぞんじそろ……」

 何だか妙だなと首をひねる。

よって此間じゅうよりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述をしょうりょう致しおりそうらえどもいまだに発見のたんしょをもみいだし得ざるは残念の至にぞんじそろ。然し御存じの如く小生は一度思い立ちそろことは成功するまでは決して中絶つかまつらざる性質に候えばおうとほうを再興致しそろも遠からぬうちと信じ居りそろ次第。右は発見次第御報道つかまつるべくそろにつき、左様御承知くださるべくそろついてはさきに申上そろトチメンボー及び孔雀の舌の御馳走もあいなるべくは右発見後に致したくすれば小生の都合はもちろん、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にもごべんぎかとぞんじそろ草々不備」

 何だとうとうかつがれたのか、あまり書き方が真面目だものだからついしまいまで本気にして読んでいた。新年そうそうこんないたずらをやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。

 それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。はくじの水仙がだんだんしぼんで、あおじくの梅がびんながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、いちりょうど三毛子を訪問して見たがわれない。最初は留守だと思ったが、二へんめには病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのをちょうずばちの葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。

「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだなんにも食べません、あったかにしておこたに寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。

 一方では自分の境遇と比べて見てうらやましくもあるが、一方ではおのが愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。

「どうも困るね、御飯をたべないと、からだが疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日ごぜんをいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」

 下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際このうちでは下女より猫の方が大切かも知れない。

「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、かぜでも引いたのかって私のみゃくをとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、ほうっておいたら今になおるだろうってんですもの、あんまりひどいじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛をふところへ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」

「ほんにねえ」はとうてい吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはりてんしょういん様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだであると感心した。

「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いてのどが痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでもおせきが出ますからね……」

 天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿ていねいな言葉を使う。

「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかりえた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者にろくな者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」

 下女はおおいに感動している。

かぜを引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」

 下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。

「悪い友達?」「ええあの表通りの教師のとこにいる薄ぎたないおねこでございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびにがちょうめ殺されるような声を出す人でござんす」

 鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場でうがいをやる時、ようじのどをつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してからきょうまで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などにはとうてい想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。

「あんな声を出して何のまじないになるか知らん。ごいっしんまえちゅうげんでもぞうり取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」

 下女はむやみに感服しては、無暗にねえを使用する。

「あんな主人を持っている猫だから、どうせのらねこさ、今度来たら少したたいておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっとかたきをとってやります」

 飛んだえんざいこうむったものだ。こいつはめったれないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。

 帰って見ると主人は書斎のうちで何かちんぎんていで筆をっている。にげんきんの御師匠さんのとこで聞いた評判を話したら、さぞおこるだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。

 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君がひょうぜんとやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本のうちにあると云う事さ」「じょうだんじゃない。孔雀の舌のかたききわどいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のようなほらふきとは違うさ」とくちひげひねる。泰然たるものだ。「むかしある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽がまごの書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼のほんけのような事を云う。主人は禅坊主がだいとうこくしゆいかいを読むような声を出して読み始める。「きょじんいんりょく」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それからそうそう本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「ぜかえしてはいかんよ」とあらかじめ念を押してまた読み始める。

ケートは窓からそとながめる。しょうにたまを投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中になげうつ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物をおのれの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」

「それぎりかい」「むむ、うまいじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼にあずかった」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこのぎりょうあらんとは、全くこんどというこんどかつがれたよ、降参降参」と一人で承知して一人でしゃべる。主人にはいっこう通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。すごいものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうしてえんきんむさべつこくびゃくびょうどうの水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでもかんちがいをしている。

 ところへかんげつ君が先日は失礼しましたとはいって来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂をたいじられたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけはのみ浮かれたけしきもない。「先日は君の紹介でおちとうふうと云う人が来たよ」「あああがりましたか、あのおちこちと云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへあがっても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前のこうしゃくをするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あのこちと云うのをおんで読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生はきんからかわたばこいれから煙草をつまみ出す。「わたくしの名はおちとうふうではありません、おちこちですと必ず断りますよ」「妙だね」とくもいを腹の底までみ込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云うせいごになる、のみならずその姓名がいんを踏んでいると云うのが得意なんです。それだからこちおんで読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻のあなまで吐き返す。途中で煙がとまどいをしてのどの出口へ引きかかる。先生はきせるを握ってごほんごほんとむせび返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生がきせるひざがしらたたく。吾輩はけんのんになったから少しそばを離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者をえらんでこんじきやしゃにしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私はおみやですといったのさ。とうふうの御宮は面白かろう。僕は是非出席してかっさいしようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトとくじゃくの舌とトチメンボーかたきを一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などはぎょうとくまないたと云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人はかいさないのであるが、さすが永年教師をしてごまかしつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月がしんそつに聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来てしたのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭がきせるだいかぐらのごとく指のさきで廻わす。「どんな経験か、聞かしたまえ」と主人は行徳の俎を遠くうしろに見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くとのごとくである。

「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例のとうふうから参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云うれがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンのこっけいものを読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブをいてへやあたたかにしてやらないとかぜを引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、のんきな僕もその時だけはおおいに感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていてはもったいない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。ロシアと戦争が始まって若い人達は大変なしんくをしてみくにのために働らいているのにせっきしわすでもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。——僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね——そのあとへもって来て、僕の小学校時代のほうゆうで今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中があじきなくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番しまいにね。わたしも取る年に候えばはつはるおぞうにを祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早くとうふうが来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免こうむる事にめてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないでどてさんばんちょうの方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風がおほりむこうから吹き付ける、非常に寒い。かぐらざかの方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変さみしい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐるめぐる。よく人が首をくくると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつのにか例の松のましたに来ているのさ」

「例の松た、何だい」と主人がだんくを投げ入れる。

くびかけの松さ」と迷亭はえりを縮める。

「首懸の松はこうだいでしょう」寒月がはもんをひろげる。

こうだいのはかねかけの松で、土手三番町のはくびかけの松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、むかしからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首がくくりたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そらくびくくりだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三べんはきっとぶら下がっている。どうしてもほかの松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、あたりを見渡すとあいにく誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、あぶないからよそう。しかし昔のギリシャじんは宴会の席でくびくくりの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端にほかのものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるというしゅこうである。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合にしわる。撓りあんばいが実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もしとうふうが来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまずとうふうって約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」

「それでいちが栄えたのかい」と主人が聞く。

「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。

「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかしこんにちよんどころなきさしつかえがあって出られぬ、いずれえいじつごめんごを期すというはがきがあったので、やっと安心して、これなら心置きなく首がくくれる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。

「見るとどうしたんだい」と主人は少しれる。

「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織のひもをひねくる。

「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時はしにがみに取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下のゆうめいかいと僕が存在している現実界が一種の因果法によって互にかんのうしたんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。

 主人はまたやられたと思いながら何も云わずにくうやもちほおばって口をもごもご云わしている。

 寒月は火鉢の灰を丁寧にらして、うつむいてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。

「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」

「おや君も首をくくりたくなったのかい」

「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」

「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。

「その日は向島の知人のうちで忘年会けん合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンをたずさえて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。ばんさんもすみ合奏もすんでよもの話しが出て時刻もだいぶ遅くなったから、もういとまごいをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はそのりょうさんにちまえに逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいてくわしく様子を聞いて見ますと、わたくしの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろなうわごとを絶間なくくちばしるそうで、それだけならいですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」

 主人は無論、迷亭先生も「おやすくないね」などというつきなみは云わず、静粛に謹聴している。

「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱がはげしいので脳を犯しているから、もしすいみんざいが思うように功を奏しないと危険であると云う診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」

「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二へんばかり聞えるようだが、もしさしつかえがなければうけたまわりたいね、君」と主人をかえりみると、主人も「うむ」となまへんじをする。

「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんからしましょう」

「すべてあいあいぜんとしてまいまいぜんたるかたで行くつもりかね」

「冷笑なさってはいけません、ごくまじめな話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実にひからくようの感慨で胸が一杯になって、そうしんの活気が一度にストライキを起したように元気がにわかにめいってしまいまして、ただそうそうとしてろうろうというかたちであずまばしへきかかったのです。欄干にって下を見るとまんちょうかんちょうか分りませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。はなかわどの方から人力車が一台けて来て橋の上を通りました。そのちょうちんの火を見送っていると、だんだん小くなってさっぽろビールの処で消えました。私はまた水を見る。するとはるかの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水のおもてをすかして見ましたが暗くてなんにも分りません。気のせいに違いないそうそう帰ろうと思って一足二足あるき出すと、またかすかな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干につかまっていながらひざがしらががくがくふるえ出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですがまぎれもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「はーい」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月もなんにも見えません。その時に私はこの「よる」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今すぐに行きます」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声がなみの下から無理にれて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めていったん飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」

「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。

「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。

「飛び込んだあとは気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこもれたとこも何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前とうしろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織のひもにやっかいにしている。

「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。

にさんちまえ年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」

 主人は最前から沈思のていであったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。

「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。

「僕のも去年の暮の事だ」

「みんな去年の暮はあんごうで妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちにくうやもちが着いている。

「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。

「いや日は違うようだ。何でもはつか頃だよ。細君が御歳暮の代りにせっつだいじょうを聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考してうなぎだにだと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日はほりかわだからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりでがないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非せっつの三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すってもいでしょうとてづめの談判をする。御前がそんなに行きたいなら行ってもろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だからとうていつっかけに行ったってはいれるきづかいはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものがってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君はすごい眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そうてすうのかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急におかんがし出してね」

「奥さんがですか」と寒月が聞く。

「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度にいしゅくする感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」

「急病だね」と迷亭が註釈を加える。

「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非かなえてやりたい。いつも叱りつけたり、口を聞かなかったり、しんしょうの苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つさいそうしんすいの労にむくいた事はない。今日は幸い時間もある、のうちゅうには四五枚のとぶつもある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、くつぬぎへ降りる事も出来ない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をしてあまき医学士を迎いにやるとあいにくゆうべが当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今きょうにんすいでも飲めば四時前にはきっとなおるにきまっているんだが、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりとはずれそうになって来る。細君はうらめしい顔付をして、とうていいらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますますはげしくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束をりこうする事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。なさけない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内にういてんぺんの理、しょうじゃひつめつの道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、おっとつまに対する義務ではあるまいかと考え出した。僕はすみやかに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋のことわざくらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、よろしゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜヤソがっこうの卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常なけんまくなんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全くさいを愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからのおかんめまいで少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少しき込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕がるい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行ってもろはだを脱いで御化粧をして、たんすから着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云うふぜいで待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分のさいめるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸でみがき上げた皮膚がぴかついてくろちりめんの羽織と反映している。その顔が石鹸とせっつだいじょうを聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌をながめて、手を握って、胸をたたいて背をでて、まぶちを引っ繰り返して、ずがいこつをさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少しけんのんのような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致してもさしつかえはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくもとんぷくすいやくを上げますから」「へえどうか、何だかちと、あぶないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命でけ出して行って、け出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急にはきけもよおして来た。細君はすいやくを茶碗へいで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者がとっかんして出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早くおのみになったらいでしょう」とせまる。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーがしゅうねんぶかく妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共にがすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」

「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。

「行きたかったが四時を過ぎちゃ、はいれないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、さいも満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」

 語りおわった主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。

 寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。

 迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切なおっとを持った妻君は実に仕合せだな」とひとごとのようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君のせきばらいが聞える。

 吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間をつぶすためにいて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人のわがままへんきょうな事は前から承知していたが、ふだんは言葉数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急にけいべつしたくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になってにもつかぬ駄弁をろうすれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭もたいへいいつみんで、彼等はへちまのごとく風に吹かれて超然とすまし切っているようなものの、その実はやはりしゃばけもありよくけもある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常ばとうしているぞっこつどもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通のはんかつうのごとく、もんきがたの厭味を帯びてないのはいささかのでもあろう。

 こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見てようかとにげんきんの御師匠さんの庭口へ廻る。かどまつしめかざりはすでに取り払われて正月もや十日となったが、うららかなはるびは一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭のおもも元日のしょこうを受けた時よりあざやかな活気を呈している。椽側にざぶとんが一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しはい方か、それが気掛りである。ひっそりして人のけわいもしないから、泥足のままえんがわあがって座蒲団の真中へねころんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。

「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。

「はい遅くなりまして、ぶっしやへ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。きんげる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間のいはいよりも持つと申しておりました。……それからみょうよしんにょの誉の字はくずした方がかっこうがいいから少しかくえたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」

 三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーンなむみょうよしんにょなむあみだぶつ南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。

「御前もえこうをしておやりなさい」

 チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急にどうきがして来た。座蒲団の上に立ったまま、きぼりの猫のように眼も動かさない。

「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいとかぜを引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そうひとさまの事を悪く云うものではない。これもじゅみょうだから」

 三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。

「つまるところ表通りの教師のうちののらねこむやみに誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあのちきしょうが三毛のかたきでございますよ」

 少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころとつばを呑んで聞いている。話しはしばしとぎれる。

「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしははやじにをするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、ふたりとはおりませんからね」

 二匹と云う代りにたりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等ねこぞくとはなはだ類似している。

「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所ののらが死ぬとおあつらえ通りに参ったんでございますがねえ」

 御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いのでひけしつぼの中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上からふたをした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子のみがわりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。

「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、かいみょうをこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全くかほうものでございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、げっけいじさんは、ええききめのあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」

 吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。

「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」

 吾輩はその野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、ふとんをすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたててみぶるいをした。そのにげんきんの御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少なごえこうを受けているだろう。

 近頃は外出する勇気もない。何だか世間がものうく感ぜらるる。主人に劣らぬほどのぶしょうねことなった。主人が書斎にのみ閉じこもっているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。

 ねずみはまだ取った事がないので、一時はおさんからほうちくろんさえていしゅつされた事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこのきがしている。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にそのかつがんに対して敬服の意を表するにちゅうちょしないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今にひだりじんごろうが出て来て、吾輩の肖像をろうもんの柱にきざみ、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上にえがくようになったら、彼等どんかつかんは始めて自己の不明をずるであろう。

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 三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささかせきばくの感はあるが、幸い人間にちきが出来たのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人のもとへ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。この間は岡山の名産きびだんごをわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、おのれが猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつのにか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族をきゅうごうして二本足の先生としゆうを決しようなどとう量見は昨今のところもうとうない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族をけいべつする次第ではない。ただ性情の近きところに向って一身の安きを置くはいきおいのしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語をろうして人をばりするものに限って融通のかぬ貧乏性の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子の事ばかり荷厄介にしている訳には行かん。やはり人間同等のきぐらいで彼等の思想、言行をひょうしつしたくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般びょうじの毛のえたものくらいに思って、主人が吾輩にいちごんの挨拶もなく、きびだんごをわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。写真もまだって送らぬようすだ。これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然ことなるのは致し方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆にのぼりにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免こうむる事に致そう。

 今日は上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩のそばふですずりと原稿用紙を並べてはらばいになって、しきりに何かうなっている。大方草稿を書きおろじょびらきとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくしてふでぶとに「こういっしゅ」とかいた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一炷とは、主人にしては少ししゃれ過ぎているがと思う間もなく、彼は香一炷を書き放しにして、新たにぎょうを改めて「さっきからてんねんこじの事をかこうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。主人は筆を持って首をひねったが別段名案もないものと見えて筆の穂をめだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。主人も自分であいそが尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまたぎょうを改める。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録かなんかになるだろうとただあてもなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、やきいもを食い、はなを垂らす人である」と言文一致体でいっきかせいに書き流した、何となくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハ面白い」と笑ったが「はなを垂らすのは、ちとこくだから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗なへいこうせんく、線がほかのぎょうまでみ出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨ててひげひねって見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云うけんまくで猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間からさいくんが出て来てぴたりと主人の鼻の先へわる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中でどらたたくような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとくながめている。「それでもあなたが御飯を召し上らんでパンおたべになったり、ジャムをおなめになるものですから」「元来ジャムはいくかん舐めたのかい」「今月は八つりましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入ったていで、ふっと吹いて見る。ねんちゃくりょくが強いので決して飛ばない。「いやにがんこだな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と妻君はおおいに不平なけしきを両頬にみなぎらす。「あるかも知れないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色がまじる中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴のくほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛のしらがだ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へはいる。経済問題は断念したらしい。主人はまたてんねんこじに取りかかる。

 鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうとあせていであるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食うだそくだ、かつあいしよう」とついにこの句もまっさつする。「香一炷もあまりとうとつだからめろ」と惜気もなくひっちゅうする。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章はおはいしにして、銘だけにしろと、筆を十文字にふるって原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たりてんねんこじああ」と意味不明な語をつらねているところへ例のごとく迷亭がはいって来る。迷亭は人のうちも自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口からひょうぜんと舞い込む事もある、心配、遠慮、きがね、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。

「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘をせんしているところなんだ」とおおげさな事を云う。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭はあいかわらずでたらめを云う。「偶然童子と云うのもあるのかい」「なに有りゃしないがまずそのけんとうだろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましているんだい」「例のそろさきの事だ。卒業して大学院へ這入って空間論と云う題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいいさ、決して悪いと云やしない。しかしその曾呂崎を天然居士に変化させたのは一体誰のしょさだい」「僕さ、僕がつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからな」と天然居士はよほどな名のように自慢する。迷亭は笑いながら「まあそのぼひめいと云う奴を見せ給え」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たり天然居士ああ」と大きな声で読みあげる。「なるほどこりゃあい、天然居士相当のところだ」主人は嬉しそうに「善いだろう」と云う。「このぼめいたくあんいしり付けて本堂の裏手へちからいしのようにほうり出して置くんだね。でいいや、天然居士も浮かばれる訳だ」「僕もそうしようと思っているのさ」と主人はしごく真面目に答えたが「僕あちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」と迷亭の返事も待たずふうぜんと出て行く。

 計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられてぶあいそな顔もしていられないから、ニャーニャーとあいきょうを振りいてひざの上へあがって見た。すると迷亭は「イヨーだいぶふとったな、どれ」とぶさほうにも吾輩のえりがみつかんで宙へ釣るす。「あと足をこうぶら下げては、ねずみは取れそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠を捕りますかね」と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りのへやの妻君に話しかける。「鼠どころじゃございません。おぞうにを食べて踊りをおどるんですもの」と妻君は飛んだところで旧悪をあばく。吾輩はちゅうのりをしながらも少々極りが悪かった。迷亭はまだ吾輩をおろしてくれない。「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならないそうごうですぜ。むかしのくさぞうしにあるねこまたに似ていますよ」と勝手な事を言いながら、しきりにさいくんに話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。

「どうも御退屈様、もう帰りましょう」と茶をえて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんですかね」「どこへ参るにも断わって行った事の無い男ですから分りかねますが、大方御医者へでも行ったんでしょう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人につらまっちゃ災難ですな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをする。迷亭はいっこう頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減がいんですか」「いか悪いかとんと分りません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかりめては胃病の直る訳がないと思います」と細君はせんこくの不平をあんに迷亭にらす。「そんなにジャムを甞めるんですかまるで小供のようですね」「ジャムばかりじゃないんで、この頃は胃病の薬だとか云ってだいこおろしをむやみに甞めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でもだいこおろしの中にはジヤスターゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからです」「なるほどそれでジャムの損害をつぐなおうと云う趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君のうったえを聞いておおいに愉快なけしきである。「この間などは赤ん坊にまで甞めさせまして……」「ジャムをですか」「いいえだいこおろしを……あなた。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、——たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそんな馬鹿な事ばかりするんです。にさんちまえには中の娘を抱いてたんすの上へあげましてね……」「どう云う趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。「なに趣向も何も有りゃしません、ただその上から飛び下りて見ろと云うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんなおてんばな事が出来るはずがないです」「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があっちゃ、しんぼうは出来ませんわ」と細君はおおいきえんを揚げる。「まあそんなに不平を云わんでも善いでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らして行かれればじょうぶんですよ。くしゃみくんなどは道楽はせず、服装にも構わず、地味にしょたいむきに出来上った人でさあ」と迷亭はがらにない説教を陽気な調子でやっている。「ところがあなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油断のならない世の中だからね」とひょうぜんとふわふわした返事をする。「ほかの道楽はないですが、むやみに読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減にみはからって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のがたまって大変困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんですよ。払いをとりに来たら今にやる今にやると云っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでも引張る訳にも参りませんから」と妻君はぶぜんとしている。「それじゃ、訳を話してしょじゃくひを削減させるさ」「どうして、そんなことを云ったって、なかなか聞くものですか、この間などは貴様は学者のさいにも似合わん、ごうしょじゃくの価値を解しておらん、むかローマにこう云う話しがある。後学のため聞いておけと云うんです」「そりゃ面白い、どんな話しですか」迷亭は乗気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心にられている。「何んでも昔しローマたるきんとか云う王様があって……」「たるきん? 樽金はちと妙ですぜ」「私はとうじんの名なんかむずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭へ食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪い事をする僕じゃない。ただ七代目樽金はふるってると思ってね……ええお待ちなさいよローマの七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタークイン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべていてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」「へえー」「王様は九冊が六冊になったから少しはも減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出してあまりの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがたが分ったろう、どうだとりきむのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答をうながす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、たもとからハンケチを出して吾輩をじゃらしていたが「しかし奥さん」と急に何か考えついたように大きな声を出す。「あんなに本を買ってやたらに詰め込むものだから人から少しは学者だとか何とか云われるんですよ。この間ある文学雑誌を見たらくしゃみくんの評が出ていましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が気にかかるのは、やはり夫婦と見える。「何とかいてあったんです」「なあに二三行ばかりですがね。苦沙弥君の文はこううんりゅうすいのごとしとありましたよ」細君は少しにこにこして「それぎりですか」「その次にね——出ずるかと思えばたちまち消え、いてはとこしなえに帰るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「めたんでしょうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でしょうな」と迷亭は済ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方もござんすまいが、よっぽどへんくつでしてねえ」迷亭はまた別途の方面から来たなと思って「偏屈は少々偏屈ですね、学問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をする。「せんだってなどは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのが面倒だものですから、あなたがいとうも脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。おぜんこたつやぐらの上へ乗せまして——私はおはちかかえて坐っておりましたがおかしくって……」「何だかハイカラの首実検のようですな。しかしそんなところが苦沙弥君の苦沙弥君たるところで——とにかくつきなみでない」とせつないめ方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんです」と開き直って月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云うと——さようちと説明しにくいのですが……」「そんなあいまいなものなら月並だって好さそうなものじゃありませんか」と細君はにょにん一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧じゃありませんよ、ちゃんと分っています、ただ説明しにくいだけの事でさあ」「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」と細君はわれ知らずうがった事を云う。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けなければならぬ仕儀となる。「奥さん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬ言わず語らず物思いあいだに寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶれんじゅうを云うんです」「そんな連中があるでしょうか」と細君は分らんものだからいい加減な挨拶をする。「何だかごたごたして私には分りませんわ」とついにを折る。「それじゃばきんの胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んでおくんですね」「そうすると月並が出来るでしょうか」迷亭は返事をしないで笑っている。「何そんなてすうのかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」「そうでしょうか」と細君は首をひねったままなっとくし兼ねたと云うふぜいに見える。

「君まだいるのか」と主人はいつのにやら帰って来て迷亭のそばわる。「まだいるのかはちとこくだな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったじゃないか」「万事あれなんですもの」と細君は迷亭をかえりみる。「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしまったぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」と主人は吾輩の頭をでてくれる。「君は赤ん坊にだいこおろしをめさしたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊やからいのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時にかんげつはもう来そうなものだな」「寒月が来るのかい」と主人は不審な顔をする。「来るんだ。午後一時までにくしゃみうちへ来いとはがきを出しておいたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君のうちへ呼ぶ事にしておいたのさ——なあに君はひま人だからちょうどいいやね——さしつかえなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭はひとりで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭のせんだんいきどおったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云うだつぞくちょうぼんな演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首をくくくなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座でおかんがするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人をかえりみながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭をでる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。

 それから約七分くらいすると注文通り寒月君が来る。今日は晩にえんぜつをするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立てのカラーそびやかして、男振りを二割方上げて、「少しおくれまして」と落ちつき払って、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむを得ず「うむ」となまへんじをする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と云う。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君はうちがくしから草稿を取り出しておもむろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌のおさらいを始める。

「罪人をこうざいの刑に処すると云う事はおもにアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代にさかのぼって考えますとくびくくりは重に自殺の方法として行われた者であります。ユダヤじんちゅうっては罪人を石をげつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥のえじきとする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますとユダヤじんはエジプトを去る以前からやちゅう死骸をさらされることを痛くみ嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架にくぎづけにして夜中曝し物にしたそうで御座います。ペルシャじんは……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論にはいるところですから、少々ごしんぼうを願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑にははりつけを用いたようでございます。但し生きているうちにはりつけに致したものか、死んでから釘を打ったものかそのへんはちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうにあくびをする。「まだいろいろ御話し致したい事もございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうの方が聞きいいよ、ねえくしゃみくん」とまた迷亭がとがだてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品なことばを使って貰いたいね」と迷亭先生またぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聴いているのか、ぜ返しているのか判然しない。寒月君そんなやじうまに構わず、さっさとやるが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらずひょうぜんたる事を云う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。すなわのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するというくだりでございます。ギリシャごで本文を朗読してもよろしゅうございますが、ちとてらうような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語うんぬんはよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方がおくゆかしくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。りょうにんごうも希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ——ええ申し上げます。

 この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、のテレマカスがユーミアス及びフㇶリーシャスのたすけりて縄の一端を柱へくくりつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方のはじをぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へくくり付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女のくびを入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うとなわのれんの先へちょうちんだまを釣したようなけしきと思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればそのへんのところかと思います。——それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。

「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首をつないでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでαα……αを縄が地平線と形づくる角度とし、T……Tを縄の各部が受ける力とみなし、T=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wはもちろん女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」

 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合はりょうにんが勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、しものごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけはって伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮のていに見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。

「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中にこうしゅかすなわちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時はふたたび同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中にはたとい兇漢でも二度める法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフㇶツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝っておうじょうさしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死にぞこないだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首をくくるとせいいっすんばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだいくしゃみなどはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらいせいが延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目にきまっています。釣られてせきずいが延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うよりこわれるんですからね」「それじゃ、まあめよう」と主人は断念する。

 演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗にふうらいぼうのような珍語をはさむのと、主人が時々遠慮なくあくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁をふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れよう訳がない。

 にさんちは事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃また迷亭先生は例のごとくくうくうとして偶然童子のごとく舞い込んで来た。座に着くと、いきなり「君、おちとうふうたかなわじけんを聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来たほどの勢を示す。「知らん、近頃はわんから」と主人はいつもの通り陰気である。「きょうはそのとうふうしの失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいところをわざわざ来たんだよ」「またそんなぎょうさんな事を云う、君は全体ふらちな男だ」「ハハハハハ不埒と云わんよりむしろむらちの方だろう。それだけはちょっと区別しておいて貰わんと名誉に関係するからな」「おんなし事だ」と主人はうそぶいている。純然たる天然居士の再来だ。「この前の日曜にとうふうしたかなわせんがくじに行ったんだそうだ。この寒いのによせばいいのに——第一いまどき泉岳寺などへ参るのはさも東京を知らない、いなかもののようじゃないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はない」「なるほど権利はまさにない。権利はどうでもいいが、あの寺内に義士遺物保存会と云う見世物があるだろう。君知ってるか」「うんにゃ」「知らない? だって泉岳寺へ行った事はあるだろう」「いいや」「ない? こりゃ驚ろいた。道理で大変東風を弁護すると思った。江戸っ子が泉岳寺を知らないのはなさけない」「知らなくても教師はつとまるからな」と主人はいよいよ天然居士になる。「そりゃ好いが、その展覧場へ東風がはいって見物していると、そこへドイツじんが夫婦づれで来たんだって。それが最初は日本語で東風に何か質問したそうだ。ところが先生例の通り独逸語が使って見たくてたまらん男だろう。そら二口三口べらべらやって見たとさ。すると存外うまく出来たんだ——あとで考えるとそれがわざわいもとさね」「それからどうした」と主人はついに釣り込まれる。「独逸人がおおたかげんごまきえいんろうを見て、これを買いたいが売ってくれるだろうかと聞くんだそうだ。その時東風の返事が面白いじゃないか、日本人は清廉のくんしばかりだからとうてい駄目だと云ったんだとさ。その辺はだいぶ景気がよかったが、それから独逸人の方ではかっこうな通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を?」「それがさ、何だか分るくらいなら心配はないんだが、早口でむやみに問い掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思うととびぐち掛矢の事を聞かれる。西洋の鳶口や掛矢は先生何と翻訳して善いのか習った事が無いんだからわらあね」「もっともだ」と主人は教師の身の上に引きくらべて同情を表する。「ところへひまじんが物珍しそうにぽつぽつ集ってくる。しまいには東風と独逸人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引きえて先生大弱りのていさ」「結局どうなったんだい」「仕舞に東風が我慢出来なくなったと見えてさいならと日本語で云ってぐんぐん帰って来たそうだ、さいならは少し変だ君の国ではさよならさいならと云うかって聞いて見たら何やっぱりさよならですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけに取られてぼうぜんと見ていたそうだハハハハ面白いじゃないか」「別段面白い事もないようだ。それをわざわざしらせに来る君の方がよっぽど面白いぜ」と主人はまきたばこの灰をひおけの中へはたき落す。おりから格子戸のベルが飛び上るほど鳴って「御免なさい」と鋭どい女の声がする。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙する。

 主人のうちへ女客はけうだなと見ていると、かの鋭どい声の所有主はちりめんの二枚重ねを畳へり付けながらはいって来る。年は四十の上を少ししたくらいだろう。抜け上ったぎわから前髪が堤防工事のように高くそびえて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。眼が切り通しの坂くらいなこうばいで、直線に釣るし上げられて左右に対立する。直線とはくじらより細いという形容である。鼻だけは無暗に大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へえ付けたように見える。三坪ほどの小庭へしょうこんしゃいしどうろうを移した時のごとく、ひとりで幅を利かしているが、何となく落ちつかない。その鼻はいわゆるかぎばなで、ひとたびは精一杯高くなって見たが、これではあんまりだと中途からけんそんして、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかかって、下にある唇をのぞき込んでいる。かくいちじるしい鼻だから、この女が物を言うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称してはなこ鼻子と呼ぶつもりである。鼻子は先ず初対面の挨拶を終って「どうも結構なおすまいですこと」と座敷中をめ廻わす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言ったまま、ぷかぷかたばこをふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありゃあまもりか、板のもくめか、妙な模様が出ているぜ」と暗に主人をうながす。「無論雨の洩りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして云う。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中でいきどおる。しばらくは三人ていざのまま無言である。

「ちと伺いたい事があって、参ったんですが」と鼻子は再び話の口を切る。「はあ」と主人が極めて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は、「実は私はつい御近所で——あの向う横丁のかどやしきなんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこにはかねだと云うひょうさつが出ていますな」と主人はようやく金田の西洋館と、金田の倉を認識したようだが金田夫人に対する尊敬のどあいは前と同様である。「実はやどが出まして、御話を伺うんですが会社の方が大変忙がしいもんですから」と今度は少しいたろうという眼付をする。主人はいっこう動じない。鼻子のさっきからの言葉遣いが初対面の女としてはあまりぞんざい過ぎるのですでに不平なのである。「会社でも一つじゃ無いんです、二つも三つも兼ねているんです。それにどの会社でも重役なんで——多分御存知でしょうが」これでも恐れ入らぬかと云う顔付をする。元来ここの主人は博士とか大学教授とかいうと非常に恐縮する男であるが、妙な事には実業家に対する尊敬の度は極めて低い。実業家よりも中学校の先生の方がえらいと信じている。よし信じておらんでも、融通の利かぬ性質として、到底実業家、金満家の恩顧をこうむる事はおぼつかないとあきらめている。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込のないと思い切った人の利害には極めて無頓着である。それだから学者社会を除いて他の方面の事には極めてうかつで、ことに実業界などでは、どこに、だれが何をしているか一向知らん。知っても尊敬畏服の念はごうも起らんのである。鼻子の方ではあめしたの一隅にこんな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知らない。今まで世の中の人間にもだいぶ接して見たが、金田のさいですと名乗って、急に取扱いの変らない場合はない、どこの会へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、いわんやこんなくすぶり返った老書生においてをやで、わたしうちは向う横丁のかどやしきですとさえ云えば職業などは聞かぬ先から驚くだろうと予期していたのである。

「金田って人を知ってるか」と主人はむぞうさに迷亭に聞く。「知ってるとも、金田さんは僕の伯父の友達だ。この間なんざ園遊会へおいでになった」と迷亭は真面目な返事をする。「へえ、君の伯父さんてえな誰だい」「まきやまだんしゃくさ」と迷亭はいよいよ真面目である。主人が何か云おうとして云わぬ先に、鼻子は急に向き直って迷亭の方を見る。迷亭はおおしまつむぎこわたりさらさか何か重ねてすましている。「おや、あなたが牧山様の——何でいらっしゃいますか、ちっとも存じませんで、はなはだ失礼を致しました。牧山様には始終御世話になると、やどで毎々おうわさを致しております」と急にていねいな言葉使をして、おまけに御辞儀までする、迷亭は「へええ何、ハハハハ」と笑っている。主人はあっに取られて無言で二人を見ている。「たしか娘のえんぺんの事につきましてもいろいろ牧山さまへ御心配を願いましたそうで……」「へえー、そうですか」とこればかりは迷亭にもちととうとつ過ぎたと見えてちょっとたまげたような声を出す。「実は方々からくれくれと申し込はございますが、こちらの身分もあるものでございますから、めったとこへも片付けられませんので……」「ごもっともで」と迷亭はようやく安心する。「それについて、あなたに伺おうと思って上がったんですがね」と鼻子は主人の方を見て急にぞんざいな言葉に返る。「あなたの所へみずしまかんげつという男がたびたび上がるそうですが、あの人は全体どんな風な人でしょう」「寒月の事を聞いて、なんにするんです」と主人はにがにがしく云う。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君のせいこういっぱんを御承知になりたいという訳でしょう」と迷亭が気転をかす。「それが伺えれば大変都合がよろしいのでございますが……」「それじゃ、御令嬢を寒月におやりになりたいとおっしゃるんで」「やりたいなんてえんじゃ無いんです」と鼻子は急に主人を参らせる。「ほかにもだんだん口が有るんですから、無理に貰っていただかないだって困りゃしません」「それじゃ寒月の事なんか聞かんでも好いでしょう」と主人もやっきとなる。「しかし御隠しなさる訳もないでしょう」と鼻子も少々喧嘩腰になる。迷亭は双方の間に坐って、ぎんぎせるぐんばいうちわのように持って、心のうちはっけよいやよいやと怒鳴っている。「じゃあ寒月の方で是非貰いたいとでも云ったのですか」と主人が正面から鉄砲をくらわせる。「貰いたいと云ったんじゃないんですけれども……」「貰いたいだろうと思っていらっしゃるんですか」と主人はこの婦人鉄砲に限るとさとったらしい。「話しはそんなに運んでるんじゃありませんが——寒月さんだってまんざら嬉しくない事もないでしょう」と土俵際で持ち直す。「寒月が何かその御令嬢にれんちゃくしたというような事でもありますか」あるなら云って見ろと云うけんまくで主人はり返る。「まあ、そんなけんとうでしょうね」今度は主人の鉄砲が少しも功を奏しない。今までおもしろげぎょうじ気取りで見物していた迷亭も鼻子のいちごんに好奇心をちょうはつされたものと見えて、きせるを置いて前へ乗り出す。「寒月が御嬢さんにぶみでもしたんですか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つえて話しの好材料になる」と一人で喜んでいる。「付け文じゃないんです、もっと烈しいんでさあ、御二人とも御承知じゃありませんか」と鼻子はおつにからまって来る。「君知ってるか」と主人は狐付きのような顔をして迷亭に聞く。迷亭もばかげた調子で「僕は知らん、知っていりゃ君だ」とつまらんところでけんそんする。「いえおふたりとも御存じの事ですよ」と鼻子だけ大得意である。「へえー」と御両人は一度に感じ入る。「御忘れになったらわたしから御話をしましょう。去年の暮向島の阿部さんの御屋敷で演奏会があって寒月さんも出掛けたじゃありませんか、その晩帰りにあずまばしで何かあったでしょう——詳しい事は言いますまい、当人の御迷惑になるかも知れませんから——あれだけの証拠がありゃ充分だと思いますが、どんなものでしょう」とダイヤ入りの指環のはまった指を、膝の上へならべて、つんと居ずまいを直す。偉大なる鼻がますます異彩を放って、迷亭も主人も有れども無きがごとき有様である。

 主人は無論、さすがの迷亭もこのふいうちにはきもを抜かれたものと見えて、しばらくはぼうぜんとしておこりの落ちた病人のように坐っていたが、きょうがくたががゆるんでだんだん持前の本態に復すると共に、滑稽と云う感じが一度にとっかんしてくる。ふたりは申し合せたごとく「ハハハハハ」と笑い崩れる。鼻子ばかりは少し当てがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと両人をにらみつける。「あれが御嬢さんですか、なるほどこりゃいい、おっしゃる通りだ、ねえくしゃみ君、全く寒月はお嬢さんをおもってるに相違ないね……もう隠したってしようがないから白状しようじゃないか」「ウフン」と主人は云ったままである。「本当に御隠しなさってもいけませんよ、ちゃんと種は上ってるんですからね」と鼻子はまた得意になる。「こうなりゃ仕方がない。何でも寒月君に関する事実は御参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君、君が主人だのに、そう、にやにや笑っていてはらちがあかんじゃないか、実に秘密というものは恐ろしいものだねえ。いくら隠しても、どこからかろけんするからな。——しかし不思議と云えば不思議ですねえ、金田の奥さん、どうしてこの秘密を御探知になったんです、実に驚ろきますな」と迷亭は一人でしゃべる。「わたしの方だって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎるようですぜ。一体誰に御聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋のかみさんからです」「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「ええ、寒月さんの事じゃ、よっぽど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来る度に、どんな話しをするかと思って車屋の神さんを頼んで一々知らせて貰うんです」「そりゃひどい」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何をなさろうとおっしゃろうと、それに構ってるんじゃないんです。寒月さんの事だけですよ」「寒月の事だって、誰の事だって——全体あの車屋の神さんは気に食わん奴だ」と主人は一人おこり出す。「しかしあなたの垣根のそとへ来て立っているのは向うの勝手じゃありませんか、話しが聞えてわるけりゃもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへおはいんなさるがいいでしょう」と鼻子は少しも赤面した様子がない。「車屋ばかりじゃありません。しんみちにげんきんの師匠からもだいぶいろいろな事を聞いています」「寒月の事をですか」「寒月さんばかりの事じゃありません」と少しすごい事を云う。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、馬鹿野郎です」「はばかさま、女ですよ。野郎はおかどちがいです」と鼻子の言葉使いはますますおさとをあらわして来る。これではまるで喧嘩をしに来たようなものであるが、そこへ行くと迷亭はやはり迷亭でこの談判を面白そうに聞いている。てっかいせんにんしゃもけあいを見るような顔をして平気で聞いている。

 あっこうの交換では到底鼻子の敵でないと自覚した主人は、しばらく沈黙を守るのやむを得ざるに至らしめられていたが、ようやく思い付いたか「あなたは寒月の方から御嬢さんに恋着したようにばかりおっしゃるが、わたしの聞いたんじゃ、少し違いますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求める。「うん、あの時の話しじゃ御嬢さ